Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

混沌の中にある真の調和。

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はい。
おはようございます。
タクさんです。

なんでも、リーバイスのCEOの方が、
ジーンズは洗わないのが正解だぜっ!
ジーンズ愛好家は洗うなよっ!

みたいなことを言ったとかでちょっとした話題になっておりました。

ちなみに、洗ってないジーンズと洗ったジーンズの耐久性を比較テストした結果、洗ってないジーンズの方が破れやすいという結果が出たそうです。

細菌かなんかが、繊維を侵食して弱らせるからなんだそうです。

ちなみに僕は、ジーンズは頻繁には洗わないけど、
定期的に洗う派です。

 

ぼくらは整理整頓されて、スッキリした安定した状態を求めちゃいますよね。
なので、部屋は定期的に掃除しますし、
手入れをしますよね。

まあ散らかってる方が落ち着くとかいう言い訳を僕もたまにしますので、
例外はあるでしょうけどねー。

人が住まなくなった家というのは、すぐに朽ち果ててしまうのだそうです。
そして、それこそが自然の姿なんです。

自然の姿は、混沌として乱雑で、変化に満ちていて不安定なんですよねん。

僕らが安定だと思っているものは実は不自然なんです。

自然とは常に変化を繰り返すものでございます。
朽ちては誕生をくりかえすんです。

木は倒れ、やがて腐り土に帰るのが自然な姿です。
鉄はどんどんと錆びていきバラバラになっていくのが自然なんですよねん。

車は錆止めの塗料で塗り固めて、なんとか不自然な状態を保っているんです。
ちょっとでも擦って塗料が剥げちゃうと、途端にそこから錆びていきます。

自然の調和した状態とは、綺麗に整頓された安定した状態ではなく、
混沌として変化を繰り返すことこそが自然そのものであり、
この変化こそが調和なんです。

まさに、ワイルド!ビバ!ワイルドだというわけです。

そんななか、安定を安心として求めちゃうと、
それは不自然なので、どうしても叶えられなかったりして、
そこで悩んだりしちゃうんです。

安定こそが本来の姿だというのは、誤解なんですけど、
どこかで、安定が自然な姿なんだという思い込みをしてたんですよねん。

自然にお任せするというのは、混沌に飛び込むということでもあります。

そして、混沌の中にこそ、調和があるんです。

この混沌は見事なオーケストラのように、完璧な調和を生み出しています。

混沌と、混ざり合ってるからこそ、一切の分離がないんですよね。
この分離のなさこそが調和です。

そんな混沌の中むりくり整理整頓をすることで、この整頓の中に分離を見ていたんです。

ですが、僕らは分離のない混沌からは逃れられません。

この混沌に目を向けた時、完全に許されている全体性に目覚めるんです。

僕らは不自然さにこだわるあまり、自然から目を背けていたわけですが、
目を背けると同時に、見えてないものに恐怖していたんですよねー。

一寸先の闇に身を任せた時、その闇は暖かい光だったことを知り、
混沌を受け入れた時、その混沌の中に真の調和を見出すんです。

 

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