Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

現実からの目覚め

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ほい♪
おはようございます。

わからんなら、わからんままでええねんで〜。
なんてことを、今日も言ってる。
タクさんです。

わからんならわからんでいいんだ!
っていうのさえ腑に落ちれば、
目が覚めます。

夢から覚めるんじゃなくて、現実から目が覚めるんですよねん。

というわけで、今日はそのへんのことについて書いてみたいと思います。

 

僕らの思考ってね。
わからないこと、不安定なことが嫌なんですよね。

なので、なんとか解明したがるんです。

一番イヤなのは、なんとも落ち着かない感じ。
これを嫌がるんですよね。

なのでなんとか決着を付けたいわけです。

そもそも、思考っていうのは、わからんこと、不安定なことが原料になっています。
わかりきったこと、安定していることについてはそもそも思考は起こりませんのでね。
だから、思考は安定を求めて不安定なことをなんとか解決しようと働くわけです。

ただねー。
ちょっとココにパラドックスがございましてね。
思考は思考が働いてないということにも、不安定さを感じるわけなんですよ〜。

いやぁ〜。ややこしいですよねぇ〜。

思考が働かないということは、不安定なので、なんとか思考を働かせようとします。

ですが、思考は、わからないこと、不安定なことがないと働きません。
なので、その原料を求めます。
その原料となるのがこれまた、わからないこと、不安定なことということになります。

そして、それを手に入れるや、思考はこのわからないことをわかろうと働きだすというわけです。

「ちょwwwwおまっwww,なにがしたいんやっ」

って話なんですけどね〜。

ありとあらゆる苦しみも、
ありとあらゆる設定も、
そして、人生も、
さらには、「私」さえも、

思考の中だけにしか存在していません。

思考を手放すということは、そんな全てを手放すことのように思考は感じるわけです。

それって怖いですもんね。

ですが、思考はモノじゃありません。
働きなんです。

手放すとか手放さないといった次元のものじゃないんです。
働き、つまりは動きですからね。

だから、ぐるぐると回ってないとダメなんですよね〜。

でも回るからには何かしらのエネルギーを消費しているわけです。
なんていうか、思考が働いている間は身体のどっかに力が入ってるんですよね。

わからないということ、不安定なことというのをちょっとした危機感として捉えているんです。
だからこそ、解決策を求めるわけなんですけどね。

この危機感が、身体に緊張感をもたせるわけですが、
これをずっと持ってますとリラックスができないんですよね〜。

だからね。
なんかつかれるわぁ〜。リラックスできないわぁ〜。
なーんて感じちゃったりするときは、

「もしかしたら、どこかに不安定さを抱えてて、そのことばっかり考えてるんじゃないだろうか?」
なんて可能性に目を向けてみたら良いかもしれません。

まあそういうわけですので、
思考が働くには何かしら原動力が必要であり、
その原動力がちょっとした緊張感を生み出していて、
それが続くと、ストレスになったり苦と感じられるものになったりするというわけです。

そして、それを解決したとしても、また新たな原動力を探し求めてしまう。
ということなんです。

原動力は不安定さやわからないことですので、
ここで、「わからないまま」にしておいてやるんですよね〜。

このわからないままが許せないから思考は働こうとするわけですので、
一旦、今だけ「わからん」を許してあげれば良いんですよねん。

そうすると、
「人生」どころか、「私」までも、
そしてここにある「現実」さえも手放すということになるが、
それでもよろしいのかな???

なーんてね。思考は脅してくるわけです。

それもねー。
「ええがなええがな」って許してやりゃ良いんです。
そもそも、手に入ってないものですからねー。
手放すも何も無いんですよね。

僕らは、人生も私も手に入れたことなんて無いんです。

さらには現実さえも手に入れたことがありません。

これらは全て思考の働きの中にあったわけなんです。

ああ、「現実」も思考が作ったイメージなんか~。
ってね。
それに気づくとき、僕らは現実という夢から目覚めるんです。

 

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