Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

条件付けからの解放

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僕らは何かを掴み取るには、条件がどうしてもくっついてくるんです。
するとその条件が、良い方に転がればいいんですが、悪い方に転がることもあるわけでして、
そして、そのことに僕らは不安を抱くんです。

なんでそんな条件を掴み取っちゃうんだろう?
って思ったりするかもしれませんが、

ぼくらは幸せをつかもうとするときも、
真実をつかもうとするときも、
そして、真の私をつかもうとするときも、

何を探しているのか?
というと、
条件を探しているんですよねん。

幸せを掴んだつもりが、掴んでるのは条件なんです。
真実を探してるつもりが、条件を探してたわけなんですよねー。

条件とは、分離の材料です。

コンピュータのプログラム言語で言うところの、
If Then Else文なんですよね。

プログラムは、
もしこのボタンを押したらこうする。
しなければ、こうする。
みたいなね。
それら条件付けの連続で動かしたりしてるわけですが、
それと一緒で、
僕らは頭の中でプログラムを組もうとしているわけなんですよねー。

 

だから、僕らは何かをつかむたびに、条件を掴み取っているわけでして、
条件が重なれば重なるほど、僕らの人生はハードモードになってくるわけです。

だって、条件とは、
「こうであるべき!」
という観念ですからねー。

それが多いと許される範囲がぐっと狭くなってきちゃいますからねー。

僕らは、自分で掴み取った条件によって、
自分自身を縛り付け、
その息苦しさから、その条件からの解放を求めます。

ですが、
その解放を掴み取ろうするために、さらなる条件を探し求めちゃったりしているわけなんです。

ほら、子どもの頃、
足元の白と黒のタイルなんかがあるところで、
「よーっし!わしゃ、黒のタイルだけを踏んで歩いて行くでっ!」
って遊んだりしませんでしたか?

たまに、お母さんに手を引かれる子どもが、
いびつな歩き方をしているのを、僕も目にすることがあります。

「おっ!やっとるな!」って
表情は仏頂面のまま心の中でニヤッとするわけですが、
それと同じようなことを、
さらにはもっと高度な無意味な遊びを、僕ら大人はやっていたんですよね。

複雑で高度な方が、より大人っぽく、
そして偉い!と思ったりしながらねー。

そして、本当は、あっちにいきたいのに、
そこには黒いタイルがないから行けない!
と悩んだりしていたわけです。

その条件が条件だと見抜かれるとき、
僕らはその滑稽さと可愛さに気づくんです。

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