Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

仮想現実と現実。

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おはようございます。
タクさんです。

僕が学生の頃は、
もうダウンタウンが最盛期でした!
僕もあの不条理でシュールな雰囲気を持つ笑いのセンスに夢中になっておりました。

で、

写真で一言!
っていう大喜利があるじゃないですか。

写真に一言を付け加えて、面白い世界観を作り上げて楽しむ。
っていうやつ。

あれ好きだったんですよねー。
もう一所懸命考えたりしてましたねー。

ま、僕の一言はいつもクソつまらないものばっかりだったんですけどねん。

 

地球上には様々な生物がいて、
中にはヒトと同様にコミュニケーションを取っている生物も
結構いたりするんですけどね。

写真で一言みたいな大喜利ができるのはヒトだけです。

架空の世界観を作り上げて、
それを共有して楽しむ。

これほど高度な遊びを成り立たせるには、
かなり発達したコミュニケーション能力と、
イメージの創造性が必要になりますからね。

そして、この能力こそがヒトが爆発的に地球上で反映した原動力にもなっているわけです。
人の発展の歴史をみても、
文字の発明。
印刷技術の発展。
電話にファックスなどの発明。
移動手段の効率化。
そしてインターネット。

これらコミュニケーション技術の革新に伴って、
人は発展を遂げてきたとも言えるかもしれません。

人は、架空の仮想現実をコミュニケーション能力を駆使して、
共有できるんです。

今後はVRなどの技術の発達や、言語の壁も乗り越えて行き、
仮想現実とコミュニケーションの技術革新は、
どんどん進んでいくんでしょうねー。

かーっ!サイバー社会ですねぇ。
ちょっとワクワクします。

まあ、そうなってくると、
何が現実なのかわからなくなる。
なんて思ったりもするわけですが、

現実というのはそもそもが仮想のものなんですよね。

仮想じゃない現実というのは、存在してないんです。

会社も学校も、社会も国も、お金も国境も、
ぜーんぶ、共有された仮想のルールですもんねー。

実体として存在しているモノではないんですよね。

今は、ゲームの中の世界は、現実ではない作り物の世界だ。
というふうに感じられますが、
これと、僕らの現実とはなんら変わりはないわけです。

現実とは、定義された仮想のものなんですよね。
そして、この定義が共有されることで保っているというわけです。

そして、僕らはこの仮想現実に深刻さを付与した時に、
この深刻さの強さに比例して、苦が生じるわけです。

それは、実体のなさを深刻さが覆い隠すことによって、
そこにリアル感が増すというわけなんですよねー。

人はみんなが集まって、写真で一言のような大喜利の世界観を持ち寄り、
その世界観を共有することにより、発展してきたわけですが、
いつの間にか、この大喜利の世界をより深刻に捉えるようになったおかげで、
本来の「なんでもない幸せ」をどこかに置き忘れているのかもしれませんねー。

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