Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

誰かと見る夢は、現実になる。

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ひとりで見る夢は夢でしかない。
しかし誰かと見る夢は現実だ。
オノ・ヨーコ

はい。
おはようございます。

冒頭のオノ・ヨーコさんの言葉は、先日ふらっとネット上で見つけた言葉なんですけどね〜。

受け取り方次第で、イメージが全然変わっちゃう言葉でもありますね。

この言葉の真意はわかんないですが、
多分、一般的な捉えられ方としては、

夢を共有したら、その夢は実現できるっ!

といったような捉えられ方なのかなー?
なんて思います。
皆さんはどのように捉えましたでしょうか???

 

さて、
僕らが観ている現実とは、心のフィルムが映し出す映画のようなものです。

そして、この心。
この心が生み出すイメージ。いわゆる想念はまさしく夢の様なものなんですよね。

その夢が現実性を帯びる一つの理由としては、人はコミュニケーションがとっても長けているので、共有できるということです。

他の人と確かめ合うことができるんですよね。
イメージである夢を、確かめ合うことで共有できるんです。

すると、途端に現実性を帯びるんです。

僕らがルールにのっとって、あらゆるゲームに興じることができるのも、
この共有力が優れているおかげです。

人間以外に、複雑なルールのもとゲームに興じることができる動物はいません

サッカーも、
野球も、
オリンピックのあらゆる競技も、
ルールを共有することによって興じることができるわけです。

さらには、
国という概念。
会社という概念。
資本主義という概念。
お金という概念。
ビジネスという概念に、社会という概念。

大人とはこうあるべき。
親とはこうあるべき。
子供とはこうあるべき。
社会人とはこうあるべき。
学生とはこうあるべき。
夫とはこうあるべき。
妻とはこうあるべき。

こういったあるべき姿もまた、共有されたルールによって生み出された概念なんです。

この概念を他の人と共有されたとき、
僕らは、イメージを現実として捉えるんです。

そして、このイメージ以外の何処かには現実は存在してないんですよね。

たぶん、探してみても見つからないと思います。
僕らは、共同幻想を現実とみなしているんですよね〜。

それが現実ですので、現実と幻想は対比の関係ではなく、
イコールなんです。
幻想の一部を現実とみなしているだけだったりするんでうしょね。

つまり、いい夢を共有すれば、幻想である現実はどんどん良くなる!
って言うことでもありますよね。

まあ良いと悪いはセットになってますので、
良いにこだわると、ちゃんと悪いも登場してきてくれたりするわけですが。

なんかねー。
こういったことを読んだあとに、
改めて冒頭の言葉

ひとりで見る夢は夢でしかない。
しかし誰かと見る夢は現実だ。

この言葉を、みてみると、
これまた違う味わいがあったりしますねー。

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