Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

冒険しちゃえ!たまにはね♪


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未知っていうのは、時におっそろしくかんじますよねぇー。

だから僕らは既知で身を固め、安心したいと思うわけですもんね。

ただ、そうやって固めた既知は、いつしかとてもつまらなく感じてしまって、
固めれば固めるほど、それはぬるま湯のようになり、
抜け出したいけど、
やっぱり怖いから抜け出せないといったような感じにもなったりして、、、。

ついつい、身動きも出来づらくなってきたりもしちゃったりします。



とある看護師さんに聞いたというアンケートで、
病院で死にゆく人が言った後悔することのナンバー1は、


もっと冒険しておけばよかった。」


なんだそうです。



まあ、わかった中で身動きがとれないように感じていたとしても、

実際には未知の中にいるんですけどね。



なので、常に前代未聞なことは起こり続けるわけです。

だったら、
冒険して見たほうがおトクなのかもしれませんねー。



 

つまり、どっちにしろ、
未知の中にいるんだとすれば、
その中で何をしようとも一緒じゃん♪

ってことなんですが、


この一緒じゃん♪
を自身で確かめてみると、
面白いかもしれません。



それを確かめてみるということは、

心の中の緊張を緩めてくれます。


そして緩んだままでいることへの、
安心感と自信がついてきます。

実は、
緩んだままでいるとダメだ!
と自我ちゃんは思ってたりするんですよね。

だから、ちゃんとしようと常に緊張感を持とうとしてたんですが、
ちょっと緩んでみると、何もダメ要素がないことに気づきます。

そもそも、
緩みたいから、なんとかしようとしてたわけなんですが、

何もせずとも、緩んで良かったと緩んでみてから知る。

というちょっとしたコントだったりするんですよねん。



実は、自信って根拠はいらないんです。


そこにくつろぐ時、
そこに確かな在るという存在感があり、
もうそこに圧倒的に存在していて、
考えやアイデアによって自分は成り立っているわけじゃなかったんだ。

と知ると、

杖がなくても立てるんだということを知ります。



杖とは考えとか信条と言ったようなものの比喩なんですが、
それがなくても、

もうすでに在るし、

在り続けてたんだということが知れると、


考えや信条はスパイスのようなものだということを改めて知るんです。


また、思考の衝動を置いておいた時に気づくのは、
思考や根拠は特に何も解決してないということです。



そういえば、今まで建てた根拠には、散々裏切られたなぁー。
ってね。

そんなこともあったりしますもんね。



安心できる根拠って、いつまでたっても見つかりませんし、

根拠ありで進んでも、
根拠なしで進んでも、
実は大差なかったりしますからねぇ。



人によって、
してみたい冒険はその人の数だけあると思います。

そして、冒険には必ず不安はつきまといます。


まあ、わからんことに対しては、不安が湧くのは当然ですからねー。

この不安は、別になーんにも悪いものじゃなくて、
慣れないことをするためにエネルギーが湧いているってことでもありますのでね。

「クゥゥゥー。満ちているゾォー。」

味わってやったら良いとも思います。

まあというわけでしてね。
冒険するのが必ず正解なんだ!
なんてことはないんですけどね。

それは、どっちでも良いことですしねー。

でも何か自分のオモロイが見つかりかけてきたのなら、
ちょいと試してみても良いかもしれませんよん♪

 

  

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