ほーい。
おはようございますー。
タクさんです。
まあ、人生を送るからには、サイコーでありたいですよねぇ。
サイコーの人生だったら楽しいですもんねー。
では、サイコーの人生を送るには、
まあサイコーとまでは行かないまでも問題ない人生を送るには、
ベストな選択をすれば良いはずっ!!
ってねぇ。
思ったりしますよねー。
じゃあ、このベストというのは、なんだろうか??
今日はそんなことについて書いてみたいと思います。
ベストな選択ってね。
結局、サイコーの人生の手段に過ぎないわけですので、
まずはサイコーの人生ってなんやねん??ってことについて書いてみます。
ま、僕らっていつかは必ず死ぬじゃないですか。
だとしたら、
最高の人生って、やっぱ、死ぬ直前に、
「あーわいの人生サイコーやったなぁー!」
ってね。
そう言って死ぬのが、いい人生だと思うんですよね。
あわよくば、死ぬまでの毎日も、
あーサイコーですなぁー。ってね!
寝る前にニヤニヤしちゃうほどだったのなら、もう、文句なしの人生ですよね?
それ以上はありませんもんねぇ。
いくら、金を持ってても、毎日憂鬱で心が重たい。。。
それよりは、お金はほどほどでも、毎日いい気分!だったらそっちの方が断然いいですもんねぇ。
いや、わしは金がないから憂鬱なんや!
って方もおられるでしょうけど。。。
まあ、それは置いといて、
では、死ぬ前に、「サイコーやーっ!」て思えるには、どうしたらいいんだろう?
っ事なんですが、それは、今、どう在るか?
これにかかっとると思うんですよ。
結局ね。
お金の不安も、漠然とした不安も、老後の不安も、
行き着くのは、死の不安なんですよね。
僕らは、絶対に死ぬのに、死ぬなんて許せんっ!
って、抵抗してるわけです。
そして死なないために、絶対安心な方策を立てなきゃならないのに、
それが立たないから悩むわけです。
今、そうなんだとしたら、きっと死ぬその日も、
「あー、死んだらどうしよー!」ってねぇ。
悩みながら死んじゃうことになるでしょう。
だって、死ぬ直前って、おもいっきり死にかけとるわけですからねぇ。
今なんかよりも尚更、死が近くに感じるわけですからねー。
ということは、もう今をかえちゃうしかないんです。
今、サイコーやー!ってことにしちゃうんです。
「とは言っても、不安の種が盛り沢山やがな・・・。」
って思ったりするかもしれません。
でも、実は、今というのは、もうすでに完全にベストな選択の結果訪れているのだとしたらどうでしょう??
ベストな選択の結果なんだとしたら、もう今はサイコーとしか言いようがないですよね。
では、ベストな選択だった根拠は??
って気になっちゃうところですが、
でも実は、ベストだった!とするのに、
ベストであったという何かしらの根拠は実は必要ないんです。
どういうことかというと、
ベストである条件は、この世界にたった一つしかないからなんです。
それは、「ベストであると考える」ということなんです。
僕らが、何かを「ベストだ!」としてるものって、そう思ってるだけ!
だということなんですよねー。
つまりベストだとすることは、ベストだと思うこと。
これ以外の根拠ってないんですよね。
さらに、選択されたことは、その時ベストだと思われるものを選択して来たはずなので、もうベストが尽くされて来たわけなんですよ。
なので、根拠なく、
サイコーやで!
ということにして置くのに、何の問題もないんですよ。
それでも、
「いやいや、そうは言ってもやっぱり不安の種はありまっせ!」
と思う方もおられるでしょう。
さて、ベストとは、ベストと考える以外の根拠はない。
と書きましたが、
これは、同時に、ベストではないという状態も、考えの中にしかなく、
ベストじゃない!と考える以外には、そんな状態は存在していない。
ということでもあるんです。
つまり、僕らが抱える問題も、考えの中にしか存在しないんですよね。
そして、考えというのは実体があるわけじゃありません。
これは、お化けと同じです。
木の枝を蛇と見ると怖がりますが、木の枝と見たら怖くない。
これと全く同じ理屈なんですよねー。
そして、サイコー!とは。
問題のなさということです。
つまり、問題は実体のない考えの中にしかないものであり、
それはイメージでしかないのだとしたら、
そのイメージを何処かに置いておくと、
元々あった、サイコーがここに残るというわけです。
もうすでに全ては、サイコーだったということなんですよねん。
※ココロがスッと軽くなる。そんなカラクリをご説明させていただきます。
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