本日は、図書館で、ゆったりとこの記事を書いています。
目の前の本棚に、「思考は現実化する(ナポレオンヒル)」という本が置いてありました。
僕がこの本を読んだのは、確か20代前半の頃でした。
その時には、「うおっ!まじか!!」
って興奮して、早速、速聴テープなんていう、普通の4倍速でテープが聞ける機械とカセットテープのセットを買っちゃったくらいです。
そう。
この「思考は現実化する」という本は、このカセットテープと機械をうる宣伝ツールだったんです。
宣伝文句は、早い速度で、言葉を聞くと、頭の回転が早くなるという触れ込みです。
ま、これは、どうなんでしょうねぇ?
ただ、賢い人。というか、頭の回転が早い人って総じて早口の人が多いような気はします。
まあ、今になって思うのは、「思考は現実化する」なんてのは、
そりゃそーやん!当たり前じゃん!
って思うんですよねー。
そもそも、現実というものは、思考を通してしか見えませんからねぇ。
なので、思考の様子。
これそのものが現実だというわけです。
ただ、思考だけだと単なる空想ですよねぇ。
これにリアル感を付け加えているのが、感覚です。
感覚とは、体と心で表現されるものです。
猫飼ってる人はわかるかもしれませんが、
猫って、びっくりしたり、怖がったりする時って、
毛を逆立てて、シャーッ!ってなるじゃないですか。
あの体の感覚をね。
僕ら人間は、思考と心だけで作れちゃったりするんですよねー。
そして、その感覚が体験となり、目の前のみる世界を変えるんです。
いい気分でいる時は、見慣れた街もキラキラと輝いていますが、
落ち込んでいる時は、南の島にバカンスに行ってたとしても、景色はどんよりしていますもんね。
僕らは、思考と感覚を通して、仮想現実を疑似体験しているんです。
だから、引き寄せの法則の極意は、いい気分でいることですし、
望みを叶えるには、セルフイメージを目一杯上げること。
これが極意なんです。
ただ、僕がここで言っているのは、
気分やセルフイメージなんてもんに従わなくてもええんちゃうん??
ということなんです。
気分様や、セルフイメージ様の顔色を伺い続けるのって結構メンドイねーん!
かー。もうええ!
って感じでしょうか???別にキレてるわけじゃありませんが。。。
ま、
気分もセルフイメージも、どちらかというとスパイスのようなものじゃないですか。
生の素材は、イノチそのものとして顕現してるんです。
このイノチの顕現。イノチの表現は、スパイスなんかない方が、
よりダイナミズムですし、ワクワクの塊なんですもん。
なんで、スパイスの味に、オロオロとしなきゃならんのじゃい!
ってことなんですよ。
こっちは生の素材様やぞ!
ゆーてねー。
気分もイメージも、あえて掴み取る時に使う道具みたいなもんです。
だから、必要に応じてその道具を使うには、それでいいんですが、
その道具の奴隷になんてならなくてもいいんですよね。
だって、そもそも気分やイメージには何の強制力もないですからねー。
この強制力のなさを知ること。それが目覚めです。
思考や感覚の支配からの目覚めなんです。
いい気分もよけりゃ、落ち込んだってそれで良いんです。
ひゃー怖い怖いってなるのも人間です。
そのまんまを愛でてあげればいいんです。
まさに、江戸末期の幕臣、山岡鉄舟が詠んだ歌にある
「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり」
というわけなんですねん♪
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