Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

プライドの捨て方

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はい。
子供の頃のあだ名は「昆虫博士」だった
タクさんです。

皆さんおはようございます。

昭和の時代って、
僕ら子供たちに、昆虫が大ブームだったんですよね。
特に、カブトムシとクワガタ。
カブトムシ大百科という本はボロボロになるまで読んでました。
そういえば、当時は百科事典も流行ってたなぁ。。。

でね。
昆虫の標本キットなるものも売ってましてね。

それには、二種類の赤と緑の防腐剤のような薬と注射器が入ってたんです。

死んだ昆虫にこの注射で薬を注入して、防腐処理を行えるようになってたんですよねー。

僕も可愛がっていたカブトムシが死んだ時に、使ったりしました。

ま、普通に腐るんですけどね。
あれ、本当に効果があったんだろうか?

まあ、子供のおもちゃで注射器が入ってるなんて今では考えられないでしょうねー。

僕も間違えて、指にプスって刺さりましたもん。

その時は、「あ、わし、、死ぬかも、、、もしかしたらこの薬のせいで、モンスターのようになってしまうのかも、、、」
って、割と本気で悩みました。

僕は、カブトムシだけじゃなくて、クワガタも好きだったんです。
あのでっかいハサミ。
めっちゃカッコいいですもんねぇ。

クワガタってね。
指でチョンってちょっかい出してやると、決まって、「クワって!」ハサミを広げて威嚇してくるんですよね。

後ろからチョンってしたら、クルって振り返ってクワーって威嚇してきます。

その姿が面白かったので、よくちょっかいを出してたまに思い切り挟まれたりしておりました。

 

さてさて、
僕らもついついクワガタのハサミ広げみたいに、
クワッ!と反応しちゃうことってありますよねー。

特に反応しやすいのは、プライドを刺激された時なんだと思います。

誰しもプライドを持っているもんです。
そこが損なわれることは、自分にとっては、存在を脅かされるものだと信じていたりするんですよね。

そもそも、「自分」というものは実体がないものですから、あらゆる存在意義を作りたがるんです。
そして、その意義を強化するものがプライドというわけです。

なので、自分の存在意義を感じられてない場合は、たくさんのプライドで武装しようとしちゃうんですよね。
そうなると、プライドはどんどん大きくなっちゃいます。

そして、大きすぎるプライドは、自分を守るどころか、あらゆる制限を加えてしまったりもするんです。

その制限のせいで、苦しみを感じる場面も多くなるんですよね。

だって、反応の可能性がグッと上がりますからねぇ。
青という色を侮辱されるのは許せん!という思いがあるのと、
青と赤と黄色と緑を侮辱されるのは許せん!というとでは、後者の方が、「クワッ!」ってなる場面が多くなりますからね。

そして、プライドを保つことができない状況は、苦となります。

自分の好きなことを楽しくやってる人は、もうそれだけで、存在意義を感じられてますので、
それほどプライドなんて必要ないですから、あまりプライド問題にぶち当たることはないんですが、
自分の存在意義を、自分以外の外に頼っている場合なんかだと、コントロールができない分、なかなか認められないと感じることもあったりして、余計にプライドで武装しようとしちゃったりするんです。

ま、これらの反応も人の本能のようなものなので、プライドを一切合切捨て去ろう!としたとしても、そんなことは無理ゲーですし、そうする必要すらないんですが、
このプライドは邪魔だなぁ。と思い当たるようなものがあるのであれば、とっとと捨ててやってもいいかもしれません。

やり方としては、色々とあるとは思うんですが、
ひとつとして、ちょっと逆説的なんですが、
「プライドを持ってる自分を可愛く見守ってあげる」
んです。

子供が、
「おらが一番なんだいっ!」
って偉ぶってるのを可愛く見守るのと同じ目線です。
「おお!またワシが妙なプライドを振りかざしておる!可愛いのぉー。」ってね。自分に声をかけてあげてもいいかもしれません。

すると、プライド自体、もしかしたら大したことないものなのかもしれない。
って思えてくるかもしれません。
そして、そもそも、そんなものを持ってたのかどうかもよくわからなくなってきます。
プライドとかも結局は想像の産物ですのでね。
れっきとしたモノではないので、どこか曖昧なものだったりします。
その曖昧さ、適当さ、辻褄の合わない様子を見てとっていくうちに、持っていても持っていなくても割とどうでもいい!
みたいなものになってきてくれたりするんですよねー。

プライドの反応はそれでも全部は無くなりませんが、それでいいんです。
かわいい反応ですからね。
そして、モノですらなく、単なるイメージの一部でしかないので、重要度も下がってきます。

そのうち、偉そうにしてるおっさんすらも可愛いおっさんやなぁ。。。って思ったりするかもしれません。

そして、その偉そうな態度をぶつけられても露骨に無視することができてきますので、楽です。
プライドの反応に対する重要度が下がってきますのでね。
「可愛いからといって図にのるなよ!」ってな感じで、可愛いのにスルー!が板についてくるんです。

あとは、自分の存在価値に条件をつけないことですね。
タンポポの花が黄色であること。
これはもう完璧な表現であり、そこに足りないものなんてありようがないですよねぇ?

それと同様に、あなたが、今、ここで息をしていること。
これでもう、あなたは完全な神そのものの表現であり、足りないものなんてありようがないんです。

そのことを受け入れること。
それが、ありのままを受け入れるということでもあります。

自分が受け入れるのではなく、受け入れられないとしていた条件の嘘さが暴かれるんです。

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