Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

条件を笑うとき、安堵に溶け込む。

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よくね。
自分を認めてやったらいいんです。
愛でてやったらいいんです。

ってねー。
言ってるわけですが、
「それがなかなか上手くいかない!」
なんてこともよく言われたりするんですよね。

そんな時は、もう徹底的に条件を笑ってやりゃいいんじゃないか?
なんて思いました。

 

条件を笑う?
それ、どういうことやねん??

ってねー。
思われるかもしれませんが、
自分を認められないというからには、その理由があるはずなんですよね。
でね。その理由が条件なんです。

そして、その条件が成り立つには、これまた理由があるはずです。

そやって、突き詰めていくと、行き着くのは、
「へ?この条件ってそんなことにこだわってたことが原因やったん??」

なーんてね。
そんなところに落ち着いてくると思うんです。

子供の頃に言われた親の一言だったりね。

そして、そこに何ら真実性はなかったりするんですよねー。

そんな真実性のなさをじっと観察してみると、
笑えてくる瞬間があるかもしれません。

それは、安堵の笑いです。

不安感や収縮感を感じ、そこで望んでいた安堵は、条件の解決ではなく、条件そのものの嘘を見抜くことにあったわけなんです。

条件を見抜くコツとしては、あまり原因究明にハマらないようにすることです。

安堵は静寂とともにあります。

ここでいう静寂は、音のない世界ではありません。
言葉のない世界なんです。

ありとあらゆる条件付けは言葉でできています。

原因を追求しようと意味を探っても、その意味もまた言葉で作られたレッテルに過ぎません。

原因追求の目的は、真実を探る目的ではなく、ほってけるようになるまで、重みを取り去るということです。

なので、どこかの時点で、言葉と一緒にほっておけるなら、もうそれ以上の原因究明は必要ありません。

言葉の一切を置いておけた時、その言葉のなさの静寂に驚くことになるかもしれません。

街の喧騒の中にも静寂があり、この静寂こそが真の世界の姿だったわけなんです。

そして、そこにリラックスするとき、安堵がに溶け込むんです。

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