Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心や思考の健気なクセ

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子供の頃、ラジコンで遊んだことってありますか?
あれ、操作が結構難しいんですよね。
ちょっと文字では伝わりにくいかも知れませんが、
レバーを上に倒せばラジコンの進行方向に走っていくんですが、
その進行方向は必ずしもそのレバーの方向と一緒かというとそうじゃなくて、
ラジコンの進行方向と、操作している自分が向いている向きが違うの場合はややこしいんですよね。

この辺を頭の中でうまくイメージしながら操作しなきゃならないんです。
しかもラジコンって結構早く動くので、
ラジコン操作のコツは、そのイメージングをいかに早く出来るか?
にかかってたりするんです。

はい。
おはようございます。
タクさんです。
まあ、そういうわけでラジコンって見てて感じるよりは操作が難しいんですよねー。
でも今は運転席にカメラ搭載のラジコンなんてのもあるらしいですので、そのカメラを見ながらの操作なら、自分視点で操作できて面白そうかも、、、。

さて、操作したくてもできないもの。
それが自身の心や思考の働きだったりしますよねー。
みんな、コレさえうまく操作できれば、もう幸せは手に入れたも同然!
なんて思うもんですから、あの手この手で挑むんですが、結局みーんな玉砕しちゃうんですよね。

なんかコントロール出来そうで、出来ないから嫌らしいんですよね
なぜなら、心や思考は完全にコントロールすることは不可能だからなんです。
ただし、その働きのクセを知っておけば、それほど心や思考に振り回されなくても良くなるかもしれません。

 

では、心や思考は、どういうクセを持って働くのか?と言いますと、
これらは、基本的に反応が起こってるんですよね。

反応の起こり方は様々なんですが、反応が起こる理由としては、全て同じで、
それは、自分に対して良かれと思っての反応なんです。

嫌な感情も、めんどくさーい感情も、実は、自分に良かれと思っての反応なんですよねー。

だから、実は、自分の中のイヤな感情や思考に対して、嫌悪感を抱かなくても良いんですよねー。
そして、そんな感情を無理やり抑えつけなくてもいいんです。

例えば、怒りは恐れから生じています。
そして、その恐れは、自分を失うかもしれない事に対して起こるようになっています。

ただし、その判断基準は、見直してみると、必要のない判断基準が結構溜め込まれている場合があるんですよね。

どういうことかと言うと、僕らは子供の頃からいろんなことを経験しているわけですが、そこで、危険を感じたことは記憶の奥にしまいこまれているんです。
そして、何かが起こった時、無意識にその記憶を判断の基準にして、そこから反応が起こってたりするんですよねー。

子供の頃は親に育ててもらってますから、親に可愛がられないということは危険に感じたりします。
さらに体力的な違いもありますので、怒られたりするのも恐怖に感じたりします。

その記憶を判断基準として持ち続けていると、その辺の知らないおっさんが怒ってるのを見て、異様に怖く感じたりするわけですねー。

基本的には自分を守ろうとしてくれている反応なんですが、もし、いつも同じような反応が起きて困る。と言う場合は、
自分はもしかしたら、もう今は必要のない判断基準を無意識のうちに持ってるのかもしれないなーってね。
その可能性に目を向けてみてもいいかもしれません。

まあ、いずれにしても、思考や感情って何かしらの反応によって起こってきます。
そしてそれは、良かれと思っての反応なんだということなら、
思考や感情って扱いにくい厄介なものじゃなく、実は親近感のあるいいヤツなのかもしれないってなってくるかもしれませんね。

ついでに言うと、単なる反応ということは、それほど大げさに、仰々しく扱わなくてもいいんじゃないか?
なーんて事にも気づくかもしれません。

窓の外に降っている雨を眺めてても、自分が濡れるわけじゃありませんよね。

思考や感情も、それ自体が殴りかかってくるわけじゃありませんからねー。
「あー、こういう判断基準を持ってたら、そりゃーそういう反応が起こるよねー。」
ってね。
呑気に眺めてても良いと思うんですよね。
そうすると、コントロールする事に躍起になる必要性も失われていきます。

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