Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

投影されたスクリーン

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いやー。
師走ですね。
師走の語源はお坊さんが法事で大忙し!という
意味があったりするそうですが、
最近は、あんまりお坊さんが走り回ってる印象はないですね。

でも、年が変わるとか、そんなことを考えてるのって
人だけっていうのがちょっと面白いですね。

今年でもう何歳やで!とか、多分ネコは気にしてないでしょうからねー。

うちのネコもそろそろ13歳、
食べやすいやらかいエサに変えてあげたほうがいいのか?
なんて、僕の方は考えたりするわけですが、
多分ネコにしたら歳のことなんて気にして無いでしょうし。

ただ、うちのネコはエサを変えたら食べなくなるからなー。
うーん。。。

おっと、ついついうちのネコの話になってしまいましたが、
皆さん。
どんな師走をお過ごしでしょうか?

おはようございます。
タクさんです。

 

僕らは何でもかんでも、まずは思考の中に持ってくるというクセを持っています。
人ってなまじ賢いので、結構余計なこともガンガン考えちゃったりするんですよね。

年末!
って聞いただけで、
今年の年越しはどないしようかいなぁ?
新幹線予約しておいたほうがいいかな?
とか、勝手に考えちゃうんです。

昨日の晩御飯は?

って聞いたら、
ついつい、えーっとなんだったっけ?
と律儀に思い出し始めたりもするんですよね。

お題を振られたらついついオチを考える。
大喜利のようなことをずっと頭の中で繰り広げてるんです。

そして、その頭の中のおしゃべりを一番よく聴いているのもまた、
自分自身なので、
自分でお題を作っては、その答えを探し求める。

これが繰り返し行われているというわけです。

頭の中の考えはもちろん言葉で出来ております。

僕らが小説を読む時は、言葉をずっと読んでいきますよね。
そしてそのストーリーを楽しむわけですが、
それと同じように、
頭の中のおしゃべりは、そのまんまストーリーとなります。

そして、そのストーリーを目の前の世界に投影するんです。

そして投影されたこの映画を現実と僕らは読んでいるんです。

身体の感覚も伴った、正に4Dの壮大なストーリー映画です。

苦はこの投影された映画の中にだけ存在しているんです。

そしてその苦の原因は、自己への否定から起こってるんですよね。

なんで自己を否定しなきゃならないのか?と言いますと、
ここにコアな思い込み。
「こう在るべき」
といったようなものがあるからなんです。
これが、掴み取られた観念だというわけです。

単なる無意味な文字の羅列である
「こう在るべき」は、いつしか強い意味を持ち、
そして、その意味というメガネを通して世界は判断され、
その判断に自分が沿わないと思った時、自己否定が始まるんです。

んなアホなー!ってねぇ。
思いません?

そんなん、勝手に自分で自分を鞭打って、
その痛みに苦しんでるようなもんやーん!

ってねー。
思いますよねぇ。

だから、まずは自分を愛でなさい。ってことをよく言っているわけです。
だって、自分で自分を鞭打ってるんですもんねぇ。
まずは、そのことに気づいてみてね。
ってことなんですよね。

そして、これは投影なんだよねーってね。
気づいてあげることで、
もちろんこの投影癖は続くわけですが、
同時に見抜かれるというわけです。

すると投影された世界に対する深刻度が変わってくるっていうお話なんです。

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