Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無思考の海にダイブしてみる。

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にょほほんほん♪
おはようございます。
タクさんです。

時間がないということは、この昨日のレシートがある買い物したという事実はないということですか?
織田信長はいないんですか?クレオパトラはいないんですか?

今、目の前の世界しかないんだとしたら、北海道に住む母はいないんですか?

みたいなね。
質問をもらったりします。

この辺のところについて今日は書いてみたいと思います。

 

時間がないっていうのも、
また、私はいないっていうのもね。
結局、時間や私というのは思考の中にある概念なんですよー。
っていう話なんですよね。

なので、思考の中にはそりゃ普通に私という概念もあれば、
時間という概念もあるわけです。

とは言っても、思考というのはあくまでもイメージですのでねー。
このイメージというのは実体はありませんよね。

なので、思考の中で定義された概念はぜーんぶ実体は無いというわけなんです。

思考さんはね。
ちょっと知らないことがあると途端にその根拠を探ろうとします。
根拠をつかめれば、ちゃんとわかる!って思ってますからねー。

なので、時間がない?とか私はいない??
なんて聞くと、途端に根拠探しを始めるわけなんですねー。

でもどこまでいっても思考はイメージでしかないので、
クレオパトラがいたというイメージを共有してる者同士では、
「いたよねー。」
っていうイメージを共有しているので、
「昔、クレオパトラという人がいたのだ!」
という事にしているわけです。

これは、形式としては、
鬼ごっこをするときに、あなたが鬼で、僕たちが逃げる役ね!
っていう決め事と同じです。

あなたが社長で僕が社員。
というのも、これまたイメージが共有された者同士の中で
そういうことにしている。
というわけですねー。

僕らは思考の中で真実を探ろうと頑張るんですが、
思考自体が、イメージの枠を抜けられないので、
どうしても到達出来ないっていうジレンマがあるんですよねん。

「今、目の前の世界しかないんだとしたら、北海道に住む母はいないんですか?」
という問いも同じですね。

だって、目の前にいないよね?
ただ、北海道にいるはずだというイメージがあるだけでね。
もし、電話して繋がったら、
よし!やっぱりいたじゃん!って根拠を得ることはできるわけですが、
いたじゃん!っていうのもこれまた思考ないのイメージでしてね。

そんなときにふと、電話の声の人は実はソックリさんだったりして、、、。
と根拠を脅かす思考が出てくると、これまた途端にわからなくなっちゃったりするわけです。

いずれにしても思考は思考イメージの枠を出ることってできないんですよね。

ちなみに、非二元の話を思考の中に持ってきても意味はありません。
私はいないんだー!なんて私が居ないふりをして生きようとしてみたとしても、
それって、ほとんどの人が知らない概念なので、多分病気扱いされちゃいます。

どんな概念でも共有されてる人同士でしか成り立たないんですよね。

おままごとの設定が通用するのは、そのおままごとを一緒にやってる人同士の中だけってのと同じなんですよね〜。

何かをわかろう!とするのは、
思考の中に一つの概念を作ろうとするのと同じことなんですね。
そして、「それ」は全ては概念であって、概念とは単なるイメージだということを指し示していますので、
概念は単なるイメージなんだ!という話を概念化しようとするとややこしいことになっちゃうんです。
思考のまな板の上にもってこれないものを持ってこようとしちゃうってわけですね。

だったら、いっその事、無思考の中にダイブしてみたらいいんです。
僕らってついつい、全ては概念化することができて、概念こそが本当の世界なんだ!という誤解をしちゃってるんです。
その誤解が目の前の概念のないそのまんまの世界を覆い隠してるんですよね。

無思考の中にダイブしてみると、言葉のないダイレクトな気づきが、今ここにあるんです。

その気付きはあらゆるあなたを見守ってきたものであり、
同時にあなた自身でもあり、
そして、全てを許していて、許されていて、
包み込んでいる全てそのものでもあるんです。

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