Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ノリノリと命の躍動

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思考から離れるとイノチの躍動が残ります。
こいつがノリノリなんです。
なんていうか、自分がワクワクしてるとかノリノリでいる。
って感じとはちょっとだけちがって、ノリノリだけがある。
って感じなんですけどね。

このノリノリがいろんなものを表現しています。
そして、このノリノリこそがすべてだったんです。
魚の大群が打ち合わせもなしに同じ動きで泳ぐのも、
周期ゼミと呼ばれているセミが13年とかで一斉に生まれるのも、
渡り鳥が打ち合わせ無しに編隊を組むのも、
このノリノリの表現です。

宇宙のビッグバンもこのノリノリの表現ですし、
ぼくらの身体もまたこのノリノリのエネルギーそのものなんです。

そして、「それ」は、色々と変化しているように見えて、一切変化してないとも言えます。
変化は捉えた時にだけ起こることであって、この捉えられたもの。
このとらえられた実体は、実は実体がなかったってことをね。
見抜いちゃうと、そこに残るもの。
それが全てなんですよねん。

 

さて、このノリノリに乗っかるには、どうしたらいいのか?
っていう話なんですけどね。

実はもう、乗っかってるんですよね。

乗っかってるっていうか、ノリノリ=自分=すべて。
だったりするわけですが、
そのことが見えないのは、隠されているからなんです。

なにがそれを隠しているのかーと言いますと、思考なんですよね。

思考って一見、考え事のことのように感じたりしますが、
実は現実そのものも思考が生み出したものなんです。

僕らは簡単に現実をイメージすることができます。

そしてそのイメージに集中している間は、それを現実としてとらえているんですよね。

このイメージ以外の現実っていうのは存在しないんです。

そして、人はこのイメージを共有することができるんです。
これが人の持つ武器でもあるわけです。

この武器がコミュニケーション能力ですねー。
これが人の発展を促した大きな原動力でもあるんです。

それがますますイメージを現実だと思わせる原因にもなってたりするわけなんですね。

ほとんど人と脳の大きさが変わらなかった、つまり知能の差は全くなかったネアンデルタール人が滅び、僕らホモ・サピエンスが残った。
この違いは喉の構造だとも言われています。
つまり発声が劣っていたために、徐々にホモ・サピエンスの方が反映し、ネアンデルタール人は衰退して行った。
という説があるんですよねー。

ま、アフリカ人以外の人類にはネアンデルタール人のDNAも入ってるらしいんですけどね。

まあ、このコミュニケーション能力が、イメージを共有することによって架空のストーリーを共有することができるから、他の動物たちよりもより強固な社会を作り上げることができた。
ってことですねー。

まあでも、例えば、明日何しよっかな〜ってね。
今考えてみてください。

すると、結構いろんなストーリーが頭に展開されますよね。
そしたら、そこで目の前の今とは別の現実を作り出してるんですよね。

過去のことを後悔している時もそうですよね。
記憶を元に現実を作り出してるんです。

今目の前に起こってることだって、判断をするには記憶を元に判断されます。
すると、その判断は過去から作られたイメージってことになりますからねー。

本来は起こってることが起こってるだけなんですよね。

ただ、とは言っても、僕らがみている現実を、
これは現実じゃ無いんだー!ってね。
否定したらいいんだってことじゃなくてね。

それだと、余計によくわからん迷いに迷い込んじゃったりするんです。

現実は現実として、受け入れていくとね。
見えてなかった現実の仕組み、つまりはイメージが作られてる仕組みが見えてきますのでね。
この仕組みをちゃんと確かめていくと、自分という観念がどこで構成されているのか?
ってのも見えてくると思うんですよねー。

最初に自分ありきじゃないんやん!結構後の方やーんってねー。

すると、僕らはすべてであると同時に、多数の現実も同時に生きているんだねーっていうのも見えてくると思うんです。

この現実という一括りの仕組みとそこへのこだわり。執着みたいなものがあるのねー。
っていう発見が、このこだわりを緩めてくれるんです。

ああ、そういう習性なのねって気づくと、人間以外のすべてがすでに表現している感覚。
全体の感覚っていうのを、改めて思い出させるきっかけとなってくれるんですねー。