Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考からの解放のコツ

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僕らって、どうしても
嫌な思考に巻き込まれたりすると、その思考を良い方にコントロールしようとしたがったりするもんですよねー。

ただ、思考って、それこそ神出鬼没。
ネズミよりも素早く走り回りますし、飛び回りますので、
なかなかそれをコントロールするのって難しいものだったりもします。

躍起になってコントロールしようとすればするほど、
思考は扱いにくいものになったりするもんです。

嫌な思考を鎮めようとすればするほど、
その嫌な思考を意識しちゃったりしますもんね。

きゃーって言いながら、目を手で覆いながらも、
指の隙間からチラッチラって見ちゃう。

みたいなね。

 

セラピーなんかでは、
この思考に対しては、思考の原因を探り、そしてそこから起こるストーリーのプログラムを変えていく。
そんな試みをする場合が多いです。

前世療法などもそんな感じですね。

あと、許しのワークなんかでも、
ストーリーの起こる元である原因を探し出し、
それを認め許してあげるといった方法だったりするわけです。

瞑想なんかも、僕もがっつりとやったことがありますが、
思考を脇に置き、単に眺め、無思考状態に在ってみる。
といったアプローチです。

もちろん、これらの方法による解放も素晴らしいものだと思うんです。
なので、それはそれで全く文句はないんですけどね。

ちょっと今日は、そもそも論といいますか、
思考ってそんなに凄い奴なのか?
ということをね。ちょっと考えてみたいと思うんです。

そもそもね。
僕らは思考を買いかぶり過ぎなんじゃなかろうか?
ってことです。

「思考は現実化する」
なんてことばもあるように、僕らは思考というのは、
ある種、とっても強い力を持っていると思ってはいないでしょうか?
ってことなんですよね。

なので、人によっては思考のコントロールに力を費やしたり、
思考を消し去ろうと頑張ったりするわけです。

悟りや解放ってね。
ある種、無思考状態のことを指す。
なんていう誤解もあったりするんですけどね。

別に、無思考状態って単なる状態ですのでね。
そういうことじゃないんですよね。

そもそもね。
思考って無害なんです。
そして、この無害だということを知るということ。
それがひとつの気づきだったりするんです。

思考はねー。信じている間だけ、時に有害になるんです。
ビリーフというのは思考を信じている状態ですのでねー。

でも、思考はそもそも無害である。
思考にはそもそも力はないんですよね。

信じるからその信じたエネルギーの度合いが時に不具合を生じさせているだけなんです。

信じさえしなければ、思考は無害である。
それを知ることで、

はぁぁぁー!
思考って強そうに見えてたけど、それってハッタリやったんかいっ!
ってねー。
気づくわけです。

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