Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考の反芻

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おはようございます。タクさんです。

僕、将棋が好きなんですけどね。
スマホの対戦型ゲームの将棋でよく将棋をしてるんです。

将棋ってかなり集中力を使いますからねー。
電車の中でやってたりすると、よく降りる駅を通り過ぎちゃったりするんですよね。

ま、将棋は好きだけど、僕は弱くてですねー。
まぁ、よく負けるんです。

もうね。
負けるとカーッ!って悔しくなったりするもんです。

クソォ〜!ぐやじぃ〜!!
ゆーてねー。

でも、数分で収まるんですけどね。

ま、ゲームの悔しさを数日持ち越すなんてことは、皆さんも無いですよねぇ?
大体数分程度ですよね。

 


これ、なんで悔しさはすぐに収まるのか?と言いますと、
そりゃぁ、たかがゲームだからなわけです。

でも、プロ棋士の方とかだと、結構引っ張ったりするんでしょうねぇ。
だって、それが生活の糧でもあり、人生でもありますからね。

ずーっと残ってる不安だとか、重たい気持ちっていうのは、
事あるごとに、何度も思い返しては味わってるからなんですよねー。

一回くらいなら忘れてどうって事なくなるんですが、
何度も思い返すうちに、どんどんと思いは深くなるんです。

同じところを何度も水が流れたら、川になり、さらには大河になって行くような感じでねー。

最初は単なるイメージでしかないんですよね。
それが思考の正体なんですが、
繰り返される思考は深い溝となり、ずっとそこにあった真実のように振る舞うんです。

でも、深い川となった思考のクセも、そこに水が流れなくなると、川は枯れ果て、
溝もなくなっていくんです。

では、水を流さないようにするにはどうするか?なんですが、
手っ取り早いのは、流れを変えちゃうということです。

ずっとそこに流れてた流れを別の方向に変えちゃうんです。

それは考え方のクセの上流の流れを変えてやるっていうことです。

具体的には考え方の習慣を変えてやるという方法になります。
この辺はそういうセッションやカウンセリングにお任せしちゃえば良いんです。

もう一つの方法としては、その流れと距離を置いてみるという方法です。
するとその流れは単なるイメージの習慣でしかない様子が見て取れます。

見て取った時点で、それは単なる風景でしかなくなるんです。

よくよく観察して見ると、その風景が襲いかかってくるわけじゃないこともわかってきます。

そうすると、思考のイメージへの深刻さは薄れていくんですよね。
もちろん、思考のクセは相変わらず残るわけですので、
悲しさも悔しさも怒りも恐怖もちゃんと起こるんですが、
それらは起こっては消えていくだけのこと。ということになるんです。
悲しさと嬉しさ。苦しさと楽しさ。
これらに差があるわけじゃないことも明らかになります。

どちらも喜びなんですよね。

差がないということがばれちゃうと、何度も思考を反芻する必要性が薄まってくるんです。

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