Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

現実をありのままに見るということ。

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僕らが苦を感じてる時って、結局、現実に逆らってる時なんですよね。
現実が「思ってたんとちがうー!」ってなってる時、
ぼくらはその現実に逆らおうとするわけです。

でも、それがうまくいかない時、苦を感じるというわけです。

この場合、二つのパターンがあって、
多いのが、捉えている現実がそもそも誤解を含んだものであったりする場合です。

例えば、会社をクビになった!もう死ぬしか道がない。
なんていう思いですね。

恋人にフラれた!
もう私にはなんの価値もない!

なんて思いも同様です。

だって、会社をクビになったところで、死ぬしかないなんてことは無いですし、
普通に他の仕事探すなりすれば良いわけです。
収入が少なくなるのなら、生活水準をそれに合わせれば良いだけですからね。

恋人にフラれた!なんてのも同様で、それと私に価値がないというのは、全く関係のない話ですもんねー。

 

そういう場合は大概のばあい、現実をありのままに見てない。
ってことになるんですよね。

反面、全ては完璧なんでしょ。
だったら、私はなーんにもしなくても、美味しいご飯を食べられるはずだし、
お城のような住まいに住めるはずですのー♪♪
ってのもね。

完璧を履き違えてるってことになります。

完璧さっていうのは確かにその通りですが、
それはなんの条件にも縛られない。っていう意味の完璧さですので、
自分が思う完璧な条件にはならないんですよねー。

なので、望みが叶わなーいって騒いだとしても、
多分、ずっとこの叶わなーい!を言い続けることになっちゃったりするわけです。

あるのは今だけですので、今を充実させてたら、環境は整ってきます。
先のことをあれこれ考えるというのも、
思った通りにはなるかどうかは全くの未知ですので、必要ないんですよねー。

これ、計画を立てなくて良い!というわけじゃなくて、
計画を立ててるのは今なので良いわけですが、計画にあれこれ心を悩ます必要性が無いということです。

この「現実をありのままに見る」が、板についてくると、
今まで見てた現実がどれほど思考によって解釈されたものだったのか!
ということが明らかになってきます。

すると、思考や感情はどれを採用しても自由なんじゃーん♪っていう事実も明らかになってくるんもんです。
そして、現実は思考によって支配されているわけでは無いってこともわかってくるんですよねー、、、多分。

目覚めとは、単にそのことをわかるだけの話なんですが、
今まで重たい思考や感情から解放されたその落差が、
解放、自由さだったり、分離のない世界の様子を「愛しかない!!」って
表現されたりするわけですが、
解放や愛を得るのが目覚めなのかというとちょっと違って、
これらは、単に持ってた重い荷物を床に降ろす時に感じる副作用的な感覚に過ぎないんです。

なので、荷物を下ろす感覚が「それ」なんだという誤解があると、
荷物を持って、降ろして、持って、降ろして、、、。
を繰り返すようなことになっちゃったりするパターンも結構見受けられます。

荷物を下ろす開放感を感じたいなら、荷物を持たなきゃならない。
なんていうジレンマがあったりするもんですからねぇ。

ま、そういうわけで、現実をありのままで見ないことによって起こる、
「こうあるべき!!」
という思いや、

ありのままから逃げたくて、
「全ては完璧なんだもーん♪」
に逃げ込んだとしても、

どっちにしても苦を感じちゃうのは、どちらも「ありのまま」に逆らってるからだったりするんです。

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