Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

常識を捨てれば捨てるほど自由になる。

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僕ら人間ってついつい常識というものに縛られちゃったりするもんですよね。

この常識ってね。
もう完全に幻想でしかないんですけど、なんかこういった常識に乗っかってると考えなくて済むので楽になるような気がするんですね。
また、責任も取らなくていいような気がする。みたいな面もあるのかもしれません。常識に従ってりゃ、とりあえずはうまくいく。
わしは悪くないで!ちゃんと常識に従って行動してたもんっ!
みたいなね。

でも、実際に常識の方が自分に何かを与えてくれるなんてことは無いんですよね。

なので、常識に従っても、なんの報酬も貰えないんです。
なのに、従順に従っちゃうのって、実はめっちゃ勿体無いことだったりもするわけです。

 

この常識を手放せば、その分、自由になります。
ちなみに、常識を手放すのと、常識に従わないっていうのは、
実はちょっと違うんです。

私。常識には従わないのー!とか言って、ハダカで歩くっていうのはね。

オイオイ、そりゃー逆に縛られまくっとるやろ!ってことになりますもんねー。

服を着ない!常識に従わない私!!
ってなってるってことは、服を着るという常識のことをめっちゃ意識してることになりますからねー。

みてみて、アタシ常識に従ってないの!チラッチラ。。。

って感じでしょうか?
ま、裸が楽だわー。常識とか関係なく。。。って楽ならそれで全然良いんですけどね。

なんていうか、「わざわざ」逆らわなくても良いってことです。

まあ、そういうわけで、常識を手放すっていうのは、何も無理してその常識とは違うことをやるというものでもなく、どっちでも良い!っていうことを知ってるってことなんですよねー。

そういうわけでそう言った常識を手放せば手放すほど僕らは自由になれるわけです。

何歳になったら結婚をして、大人は社会人として職を持って、、、とかね。
そういった幻想を手放せば、その幻想に縛られなくてすみます。

結婚できてないとか結婚がうまくいかないとか、そういった無駄なことを考えて悶々としなくてすみますし、
AIによって、職が奪われるー!とか言って自分の職についてあれこれ騒がなくても済むわけですからね。

会社というものもあるように見えてありませんからね。

鬼ごっこという遊びはあっても、鬼ごっこという実体はありませんよねぇ?

はい!こちらが鬼ごっこの実物大です!ってね。そんなオブジェが有るわけじゃないですし。
会社だって一緒で、おい!俺らでチーム組んで車作ろうぜー!
って集まって、せっかくだからチームの名前作ろうぜー!とか言って、
イメージを共有してあるとみなしているだけで、実際にはありませんからねぇ。そんなもん。
そういえば、最近、本で、人の価値は、実力でも才能でもなく、勘違いさせる力だ!
なんていう内容を見た気がするんですけど、まあそれは言えてるなぁと思うんです。
あの方は大企業に勤めるエリートサラリーマンよ!
だからきっと凄く紳士的で頭が良いんだわ!
って、いうのも勘違いですからねー。

鬼ごっこが上手いのと、人格は関係ありませんしね。

こういった、勘違いによる縛りから自由になると、その勘違いの中で苦しまなくても良くなります。
それでいて、ちゃんと鬼ごっこを遊ぶように、お気に入りのルールで遊べば良いわけです。失敗したなら、次はかくれんぼを遊べばいいわけですからねー。
そして、そうやって遊ぶのが命の表現でもあるんです。

なにも浮世離れして、仙人のようになることだけが、あらゆる束縛から解放された生き方ではありません。

でね。
常識とされるものは全て幻想なんですね。

時間というものも幻想ですし、
年齢というものも幻想です。

幻想さに気づけば気づくほど、その幻想から自由になれますし、
すると深刻さなく、その常識というルールを遊べるというわけです。

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