Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

わからんは怖い

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おはようございます。
キンチョーしいのタクさんです。
ちなみに僕のキンチョー分野は大勢の人前で話すことです。

皆さま、どんなキンチョー分野をお持ちでしょうか?

さて、
人ってなんでキンチョーするんでしょうねぇ?

これね。
実は恐れなんですよね。

何に対しての恐れなのかと言うと、
わからないことに対しての恐れなんです。

人前で話すのも、どう思われるか?
楽しんでもらえてるか?
変じゃないか?
うわ!みんなこっちみてる!

とか色々と慣れない体験や、わからんことがあると、
怖いのでキンチョーしちゃうんですよね。

慣れちゃえばキンチョーは無くなってきます。
慣れるということは、大体どういう感じかがわかるってことですからね。
わからんことがなくなってきますので、その分恐怖は無くなってくるんです。

なので、場をこなせば緊張は無くなってくるんですよね。
まあでも、慣れないことは怖いしキンチョーするっていうのは、
生き物全ての宿命みたいなもんだと受け入れるしかないのかもしれないですねー。

ネコも初めての場所に足を踏み入れるのは恐る恐るですし。。。

ま、なので、怖さはあって良いんです。
キンチョーも思う存分すりゃ良いんです。
しゃーないですし。

ええやんけ!
緊張しても!!
人間だもの。。。

 

ま、ここでもよく、
わからんままでいたら良いんですよーんとか言ったりしてますけど、
わからんことって、怖かったりするんですよねー。

なので、
場合によると、わからんままでいようとすることにとっても恐怖を感じることもあるかもしれません。
すると、
わからんままでいようとすると、怖いから、まずはこの恐怖を克服しなきゃ!
というふうに方向性が恐怖の克服の方に変わっていったりすることもあったりするんですよねー。

でも、
恐怖の克服をやろうとしちゃうと、
延々と終わらなかったりもするんです。

なんか、「それ」を手に入れると、悲しみや恐怖から解放されるんじゃ無いのん?
っていう誤解もあったりするんですけど、そういうことじゃ無いんですよね。

恐怖だって、悲しみだって、嬉しいことや、楽しいことだって、
なんでも起こりうるんです。
悲しみや恐怖をなんとかしようとすると、一時は克服できた!と喜んでも、
また、起こってきますのでねー。
そうなると、あんなに頑張って克服できたと思ったのにまたフリダシにもどっちゃった。って悲しんだり。
そんな事の繰り返しになっちゃったりするんですよねー。

恐怖はあって良いんです。
ただ、恐怖しているのは、あなたじゃなくて、自然現象ですので、
その恐怖に対してなんとかしなきゃいけないっていう責任は無いんですよねー。
なので、その「なんとかしなきゃいけない」っていう責任を放棄したったら良いんです。

恐怖が起こったら怖がったら良いですが、それをどうこうするのはワシの仕事やない!
って感じでしょうか?

責任を放棄しちゃえば、わざわざ、この恐怖をどう扱おうか?
と作戦を練らなくても良いので、恐怖の反芻をしなくても良くなります。

すると、事は起きて、そして単に去っていくんですねー。

今後のことをあれこれと整備するのはワシの仕事じゃないから、もう任せておいて、ワシは今に集中しとくわ!
ってやってりゃ良いんですねー。

そうすると、いつのまにか、わからんままでええわー!が
出来ているってことに気づくんです。

わからんままで全然大丈夫だということを知ると、
全然わからんままでいいのに、わかろうとするから苦労しとったんか!
っていうことも見えてくるんです。

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