Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

好きと嫌いと探求のエネルギー

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好きと嫌いは、時にそれらを良いと悪いに昇華してしまう場合があるんですよねー。
なぜなら、好きと嫌いに理由づけをしちゃうからなんです。
本来は理由なんていらないんですけど、
僕らはストーリーこそが現実だと認識し、
その現実の中で生きていると思ってたりするわけでして、
そのストーリーの中でそのあらすじを捉えるには、ストーリーを成り立たせる理由が必要になるんです。
だって、ストーリーのあらすじを掴んでおかないとストーリーを見失う。
つまり現実がわからんことになってしまいますからねー。

でね。
この掴もうとする動き、このエネルギーが探求のエネルギーなんです。
探求のエネルギーとは、求道者だけのものでもなく、真理を探すだけのものでもなく、
単に何かを掴んで持っておこうとする働きのことなんです。
でね。
探求の終わりとは、そのエネルギーとの同化力が弱まることなんですね。

なんていうか、探求は起こったりするわけですが、
そこへの同化力が無くなってくるので、深刻さがなくなってくる感じです。


同化力が強ければ強いほど、分離感も増してきます。
分離感が強ければ強いほど、ストーリーに対するリアル感(こだわり)も強くなります。

そして、このリアル感は深刻さをつくるんですねー。

 

話を、好きと嫌いに戻しますと、
好きが、「〇〇は良いこと」となると、嫌いは「〇〇は悪いこと」となり、
それが、
「良くあるべきで、悪いものは排除すべき」
といった理論に発展しちゃったりするわけです。

これがまさしくストーリーであって、このストーリーをリアルに感じるものですから、
深刻さが増してくるというわけです。

僕らが感じている苦しさは、そのストーリー上の理由の中にあるように見えて、
ホントはその深刻さの中にあるんですよね。

実際のところは、良いも悪いもなくて、好き嫌いがあるだけですので、
嫌いなことが起こってもそれはそれで全然良いわけなんです。

恨みつらみがあっても良いし、憎しみがあっても良いんです。
悲しみだってあって良いわけです。

っていうか、普通にそれらは起こりますのでね。
避けられません。
ただし、それらが苦であるのか?というとそうじゃありません。
それらを苦にするのは、それらがあってはならん!と思う心の方にあります。

ただ、苦しさのど真ん中にいる場合は、
「あってはならん!」をなくしたらええねん♪とか言われても、
そう簡単にうまくいきませんよね。

その場合は、その苦しさの原因の悪いことを、ま、それほど悪く無いかも?や別の良いことに転換させれば、その苦からは解放されます。

この辺を転換するテクニックが、心理カウンセリングなどでは行われていたりするんですよね。

カウンセリングとかヒーリングとか、いろいろあると思うんですけど、
結構、思い込みを変えるのって、根気が必要だったり、時間がかかったり、
時には、全然改善されなかったりといったこともあると思うんですよねー。

もちろん、改善した―!なんて声もたくさんあるわけですけどね。

ただ、ここにも一つのジレンマがあって、悪い何かを治そう。
と思っていると、なかなか改善しなかったりするんです。

悪いモノを良いに変えよう。
っていう考え自体がねー。なんていうかズレてるから、なかなかうまくいかなかったりするんですよね。

本来は、
全然悪くないんです。

その全然悪くないものを、悪いと思い込んでしまってることで起きている抵抗感があるわけです。

全然悪くないものを、悪いと思っている。そんな誤解を解こうとしている。
っていうのが、ホントのところなんです。

ロープを蛇だと思って恐れている何かがあるわけですね。

なので、誤解を解こうとしているんだという事をまずは念頭に置いてみるのもアリかもしれません。
そして、ホントは、そのまんまでも大丈夫なんです。

どこかで自分が自分を許せない!としているだけなんですよね。

無条件に許しちゃうと、大丈夫なんだという事も見えてくるんです。

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