Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

妙な基準に自分を閉じ込めちゃうと、そりゃー息苦しいですよ。

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十二支という干支がありますよねー。
ちなみに僕は卯年なんですが、
この十二支の話を昔話なんかで見たことがあります。

神様?が動物たちに向かって、
「元旦の朝、挨拶に来い!先着12番目の者には順に1年間の間、動物の大将にしてあげるよ!」
とお触れに出して、動物たちが各々、神様の御殿に向かうわけです。

呑気な猫は、ネズミに、
「あれ?挨拶に行くのいつだっけ?」
と聞いたら、ネズミはわざと1日遅れの日を教えて騙したので、
猫が到着したのは1日後で、12番目までに入ることはできませんでした。

牛は、足が遅いので、夜のうちに出発したのですが、その背に乗ったネズミには気づかず、
御殿の門の前でぴょんと飛び降りたネズミに先を越されてしまいました。

なので、一番はネズミ、二番に牛、そのあとに、虎と兎が続きました。

みたいなお話だったと思いますー。

 

ま、
これは昔話、おとぎ話のたぐいですので、良いわけですが、

実際にねー。

動物たちを競争させて、早い者がエライ!なんて基準を決めるのって、
おかしな話ですよねー。

猿や牛やウサギにかめを一列に並ばせて、ヨーイドン!
ってしたところで、動物たちは早く走ることに優劣は感じてませんしねぇ。

キリンの首が長いのは、早く走るためじゃなく、高いところのエサを取るためですし、
ウサギも亀も早くゴールに到達するために長い耳や硬い甲羅を持ってるわけじゃありません。

亀に早く走れ!を強要したら、亀さんはシンドイですよねー。
そんな勝手な基準を当てはめられたところでねぇ。

あ、話は変わりますが、実は亀は結構早く歩くんですけどね。
(ウチの亀も餌を置くと、バタバタバター!って素早く寄ってきます・・・)

動物たちは、動物たちの適性をもって、完璧な姿で生まれてきております。
妙な基準で当てはめた時、その完璧さは失われたように見えますが、
それは基準がおかしいからなんですね。

豚に真珠。馬の耳に念仏。
ってね。
「豚には真珠の価値はわからんだろうねぇ。」
「馬にはこの念仏の価値はわからんだろうねぇ。」
と言ったところで、
実際に真珠や念仏には価値はありませんから無視されとるだけなんですよねー。

価値があるとしている。そういった基準を作ってると、そこに完璧さが失われるわけで、
不完全な世界を見るわけです。

そして、僕ら人間もまた、まぎれもない動物です。

既に完全な状態で生じているわけです。
そんな中、妙な基準を当てはめた時だけ、その完璧さが失われたようにみえているだけなんですよね。

猫を猫、人を人、犬を犬と区別することすら、妙な基準となります。
そもそも、そんな区別すらないんです。

結婚がうまくいかない。
社会に順応できない。
仕事がうまく続けられないー。

なんて悩みもあるかもしれませんが、
これだって、
勝手に妙な基準に当てはめようとすることで起こってる悩みなんです。

そっかー!結婚という勝手に作られた基準が、自分に向いてないだけなんだー。
このパターンの社会には自分は向いてないんだー。

ってことだけですのでね。

社会っていうのは人の集まりですが、このコミュニティは無数にありますので、
一つのコミュニティに依存しちゃうと、それが全てだと思っちゃいますが、
あらゆるコミュニティを知ってれば、社会に順応できないーって悩む必要性は皆無だということもわかっちゃいます。

妙な基準に合わないからって、それで自分を責める必要性なんて一切ないんです。

だって、妙なのは基準の方なんですから。

そんな基準にみんなを画一的に入れ込もうなんて、土台無理な話なんですからねー。

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