Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「正しい」や「間違い」なんてないんだぞ!っていう正しさ。

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「正しいや間違いがないのはわかったんですが、人に正しさや間違ってるを押し付けられるときはどうしてるんですか?」

また、
「自分自身、これはどうしても正しいとか、これは間違ってる!ってまだ思ってしまうんですが、どうしたらいいでしょう?」

みたいな質問をいただきました。
ま、こういった質問は結構よくいただいたりします。

なので、今日はこの辺のことについて、書いてみよっかなーと思います。

 

「人に正しさを、また間違いを押し付けられる」
これはどういうことかと言いますと、

これこそが正しいんだ!君もそう思うだろう?
っていうパターンや、

これは断じて間違ってる!君はどう思うのかね!
っていうパターンでしょうかねー。

そんなんね。
別にどうしたら良いのか?なんて悩む必要ないんですよ。
こんなもんサービス精神の見せ所ですのでね。

いやぁー!ホント!たしかに言われてみるとそうですよねー!
ウンウン。納得ですぅー!!

とかゆーといたら良いんですよね。

そしたら、言ってる人も、ものすごく喜んでくれるでしょうし。

そうは思わなかったり、興味がない場合は、
「へ?そう??わしゃそうは思わんけど、、、」
で良いんです。

こんなん、好き嫌いでしかないし、意見が違っても全然オッケーですし、
「自分と意見が違う人とは付き合えない!」とか思ってるめんどくさい人は勝手に去って行ってくれますのでねー。

好かれなきゃいけない!といった強迫観念を捨てちゃえば、楽なもんです。
好きな人以外は自然にいなくなり世界が好きな人だらけになってきてくれますのでねー。

まあ、そういうわけで、
「どうしたらいいのか?」の答えについては、
「どうしてもいい」し「どうでもいい」ってことになっちゃうんですよね。

つまり、その時のノリでいいんです。

で、もう一つ。
「どうしても、正しい、間違ってるって思いがでてきちゃう」
っていうことに関してですが、
これだって、そりゃ起こります。
それで良いじゃないですか。
ってことなんですよね。

ま、正しい、間違いと捉えるよりは、好き嫌いだと捉えたほうがしっくりくると思うんですけどね。
その好き嫌いが正しいとか間違いに変換されてるだけですので。

「正しいも間違いもない」っていう言葉をねー。
これまた観念にしちゃうと、

いかん。まだ正しさや間違いという思いが出てきている。
まだここからの解放が果たせていない。

とか思っちゃったりするかもしれませんが、
それは、「正しいも間違いもない」は正しい!
っていう正しさを握りしめちゃってる。
みたいな矛盾を抱えちゃってたりしますのでねー。
観念として捉えちゃうと、いつまでたっても堂々巡りなんですよね。

正しいも間違いもないんだから、全てはすでに許されてます。

だから、あなたもそんな自分を許してあげたら良いんです。

「これだけは許せん!」という思いがあるのなら、その思いがあることを許してあげちゃうんです。
「これは間違ってる!」という思いがあるならそれでいいんです。
それもまた許されております。

徹底的に許してやっていきますと、
だったら、何もすることがないですやん!
どこにも行きようがないですやん!
っていう思いにぶつかります。

そして、そこをよくよく観察してみると、
あれ、、、どこかに行く主体、何かをする主体すらいないってことにもぶつかるんですよねー。

主体者がいない中で主体者がいるという夢を見てた。
みたいなねー。

あ、どこにも行きようがなくなったから、今とここしか無いし、
そもそも、どこにも行ってなかったから、ずっと今ココに居たんだね。
ってことも発見されるんですよねん。

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