Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

良い気分でも良いし、良い気分じゃなくても良いじゃん♪

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実際、幸せってなんやねん?
と言いますと、いい気分でどれだけいれるかどうか?
だと思うんですよね。
つまりは、自然な自分。自分という観念も介在しない、自然。
そんな自然になってれば、それはいい気分だと言えるかもしれません。

この自然とは無色透明で、判断に固定されていないものです。

もちろん、何かを得たことによる良い気分になるって感じたりするかもしれませんが、
これだってよーく観察すると、変な話、得たものによるものというよりかは、
得たことによって消えた不足感によるところが多かったりするんですよねー。

ま、そうことなので、いい気分というのは、自然でおればいいということになります。

気分なんて聞くと、どうしても心の問題のように感じたりするかもしれませんが、
気分の悪さってのもよくよく観察してみると、身体の違和感だったりするんです。

何度かここでも書いてますが、心と身体というのは同じものですのでねー。

 

ま、つまり、いい気分というのは、身体の状態でもあるんです。

大体、僕らって
以前の体験だったり習慣によって世界を色付けています。
本来の世界は無色透明なんですけどね。

習慣や体験の記憶が色をつけているんです。

でね。
この習慣や体験によって形作られた危機という観念があるわけですが、
この危機が発動された時に、身体が反応するんです。

この身体の反応を受け取ってありとあらゆるイメージのストーリーが展開されるんですねー。

でね。
普通のアプローチとしては、どうすれば気分良くいられるのか?
に焦点が合わせられています。

心理カウンセリングなんかでも、
本来無色透明なものをどう色付けしているのか?ということを解明したりして、
その色付けを変えていく。と言ったような手法がとられていたりするんです。

これは、とっても素晴らしい手法だと思うんですが、
まあ、心はここで書いてるような簡単なものでもなく、色付けも多重かつ相対関係となってたりその関連がねじれたり分岐したりと複雑ですので、そう一筋縄ではいかなかったりもするんです。

なので、文章で書いて、はい解決!とはいかないんですけどねー。

でも、一つ知っておいて欲しいことがあるとすると、
別に、悲しい反応があってもええやん。
って事なんです。

悲しさ、苦しさだって、なぜ起こるのかというと、それは自身への愛の表現そのものなんですし。
ってことなんです。

だから、いい気分にならなきゃいけないというわけでもなけりゃ、
そうじゃ無い自分は欠けてるわけでも無いってことなんですよね。

もちろん、いい気分になろうとするのも全然オッケーですけど、
完全にいい気分だけになるのはぶっちゃけ無理なんですよねん。
無色透明を色付けられた世界は変幻自在に変わり続けますので、いろんなことは起こるわけですからね。

だから気分は色々あって素晴らしいんです。

でねー、逆説的なんですが、
いい気分じゃなくてもいいじゃん。
って許してあげられると、それはとってもいい気分なんです。

そう。
幸せはもうここにあったんです。

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