嫌いなこともあれば、嫌いな人だって皆さんだっていてますよねー。
それをね。
無理やり好きにならにゃいかん!と思うと無理が生じるわけなんですよ。
単に嫌いなら、ほっておけば良いんです。
あー。うん。嫌いだわ。以上。
です。
それはもうトマトジュースが好きか嫌いか?
みたいなね。
どっちでも良い人にとってはホントにどうでも良いことですのでね。
嫌いだってのも別にそれほど騒ぐことでもなく、
嫌われることだって、うんオッケー!てなことで、別々に交わることなく楽しんでたら良いわけです。
この世界はみーんな好きな世界観を作って、それで遊べばそれで良いわけです。
そして、その好きには正解も間違いもありませんのでね。
何かを我慢している人ほど、正しいと間違いにこだわってたりもするわけです。
単に好きだからーで遊んでたらいいんですけどねー。
好きと嫌いを、正しいと間違いに分類しちゃいだしますと、
自分を正当化したくなったりもしちゃいますのでねー。
そうすると、途端に、正しいやら違いといった観念に巻き込まれて窮屈になってきます。
他人の間違いを批判して、批判することで自分は正しいんだと確かめたくなっちゃったりしてね。
正しいも間違いもありませんので、
ダラダラが好きならダラダラしてていいですし、
逃げたきゃ逃げれば良いわけです。
一つのことをコツコツと頑張るのが好きなら頑張れば良いですし、
飽きっぽいなら次から次へと興味を移せばいいんです。
コツコツ頑張るのが好きな人はそれが長所になりますし、
飽きっぽさもまた、立派な長所ですのでねー。
この辺りのことも、正しさの物差しという、架空の概念で当てはめようとしちゃいますと、
途端に迷いの中に取り込まれてしまうんですよねー。
何が正しいんだろうか?
何か間違っていないだろうか?
と考えちゃいがちになっちゃうんです。
正しいか間違いか?じゃなくて、
わしは、何が好きなんだ?
っていうことを自身の中に問うてみると、
正しいという観念の奥にある、自分の好きが湧き上がってくるかもしれません。
この好きに正しさや間違いの物差しをあてないであげるんです。
こういうのが好きだけど、ダメだよねぇ。。。
って押し込めなくていいんです。
押し込めちゃうと、どんどん瞳から光が失せていっちゃいます。
正しいも間違いも無けりゃ、カッコいいカッコ悪いもありませんのでね。
そんな物差しほったらかしておいて、好きを表現していると、
自然と瞳も輝いてくるっちゅうもんです。
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