Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らは自然の一部であって人間の一部ではない

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ほっとんどの悩みって、人間関係の悩みなんだよーってな話を聞いたことがあります。
お金の悩み、仕事の悩みだってある種、人の中にだけある仕組みですので、それを含めるとそうなのかもしれないなー、って思うんですけどねー。
人間関係のハナシって、ホントストーリーですからねー。
そもそも僕らは自然の一部なわけであって、人間の一部では無いんですよね。
この地球上だってそのほとんどは自然の営みが淡々と起こっとるだけでして人間のストーリーなんてほんの一部ですからねー。

僕、仕事中、暇な時には、たまにグーグルマップの航空写真バージョンのやつで世界のいろんなところを眺めてみるのが好きなんですけどね。
まあ、地球ってほとんどが荒野と山々と海ですわ。

ついつい人間が地球上の主人公で、その人間社会でどういう立ち位置でいるのか?が最大の関心ごとになっちゃったりしがちですが、地球の7割は海でのこり3割の陸地の主役は荒野と山々でございます。川沿いや海沿いのちょこっと発展した平野部に人が街を作っとるだけでしてね。

地球の主役は地上ではなく海なんですね。
そして、地球は宇宙の中の非常に小さな端っこの方の星ですし。


そういった自然そして宇宙と僕らは一体となって存在しているわけです。
太陽が一瞬でもなくなると、地球は今の環境を一瞬で失いますし、
生物は生きてられなくなりますし、酸素がなくなると数分で脳は機能できなくなります。

ついつい身近な人間関係が世界の全て!ってなっちゃいがちだったりしまったりしちゃいがちですが、そんなの世界でもなんでもないんですねん。

僕らはついつい、「ワシがやった!ワシが育てた!」って思いがちですので、
自分が空気を吸って、それが血液に渡り、心臓で身体中に巡らしている。
「ワシが空気を吸ってワシが身体を管理している!」
なーんて思いがちですが、空気からすると、ワシが旅しとるんや!お前に吸われたんやないわい!って事になるかもしれませんしねー。

 

話が変な方向に行きそうですが、誰が生きてるわけでもなく、自然が変幻自在な表現を繰り返しているんです。
そんな中、僕らは自分と他人とそのルールの関係性の中だけのストーリーに埋没しがちなんですよね。

神や聖者が地球を救うわけ無いんです。
宗教の伝説の創始者が自然を作り上げたわけでもありません。
彼らは自然の中のほんの小さな一部分である人の営みの中のほんの一部の人の頭の中のストーリーにちょっとした流行を起こしただけに過ぎず、それもまたイメージの中のストーリーでしか無いわけですよねん。

ストーリーの中だけに埋もれていますと、その不自然さからストレスを溜め込んじゃったりするんです。
ストーリーは人の中にしかありません。
みんな、自分が持ってるストーリーを披露しあっているんです。
共通部分があると共感し、違う部分があると敵になる。
そんな妙な遊びも流行ったりしてるわけです。

こういった遊びをするのも、
鳥が妙な求愛ダンスをするのと同様に、人の習性であり、ある種、かわいい自然の姿の一つとも言えるわけですが、人はアタマが妙に働くのでストーリーを延々と作り上げることができちゃいます。そこでオーバーフローしちゃったりもするんですよねん。

なので、たまには、人の習性を、
滑稽で可愛い鳥の求愛ダンスを見るのと同じような感じで
眺めてあげるのもいいかもしれません。

見てあげることでストーリーがストーリーなんだと知ることができます。

そしたら、それを置いておくことも平気なんだと知ることになります。

すると、全てとつながった全体としての自然な姿を思い出すんです。
そんな自然にただ単に在ってみたらいいんです。
するとそこに自分も溶け出します。
リラックスです。

そんな時に気づくのは、
「うはっ!頭の中の物語に深刻になっていた私ってば、可愛くてウケるー♪」
っていう感じです。

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