思考っていうのはエネルギーの一種なんですよね。
その証拠に、人はこの思考力を獲得するために膨大なエネルギーを消費しております。
チンパンジーってね。
素手で人を引き裂くくらいの力を持ってるんですけどね。
人は思考力を得るためにその力を放棄して思考力。つまり脳を手に入れる方向性で進化していったんです。
なので、今では地上の支配者のように振舞ってますが、そういう文明を手に入れたのもせいぜいここ一万年くらいの話で、それ以前の百万年以上の間は、かなり下位グループに属しておりました。
人が道具を使って動物の骨の髄液を取って食べていた跡が残ってたりするんですけど、これは、
獲物を取った大型動物が肉を食べて、
その残りを別の肉食獣が食べて、
その残りを鳥だとか他の動物が平らげて、
ほとんど骨しか残らないようになってから、やっと人が食べ物にありつけたということを示すんだそうです。
脳を発展させるためには、かなりの運動能力を犠牲にしなきゃならなくなったお陰で、100万年以上も下位グループで雌伏の時を過ごしていたんですねん。
そのかわり他の動物よりも優れた思考力を手に入れることができて、100万年以上も待った結果、やっとここ1万年くらいで、地球で食物連鎖のトップに躍り出ることができたわけです。
ま、そういうわけで、思考はエネルギーやというわけなんです。
思考だけじゃなく、全てはエネルギーなんですけどね。
物質だって石だってエネルギーです。
空間だってエネルギーに満ちています。
もちろん僕らだってエネルギーの表現形態の一つなんです。
でね。
エネルギーは表現形態を常に変化させますが、このエネルギーが減ったりすることはありません。
エネルギー保存の法則っちゅうやつですね。
僕らは生まれたこともなく死んだこともないっていうのは、このエネルギーがなくならないのと同じような感じです。
ただ、表現形態は常に変わります。
なので掴み取ることはできません。
掴んだと思ってもすぐに変わっちゃいますからねー。
この常に変わるっていうのが、諸行無常ということなんです。
諸行は無常である。とは全てはエネルギーですよーんっていうのと同じ意味なんです。
諸行(すべて)は無常(止まる事がないもの=エネルギー)っちゅうことですね。
そしてね。
例えば風にその行為者がいるわけじゃありませんよね。
その風がタービンを回して電気になって、、、
ってエネルギーは常に表現形態が変わりますが、そこに行為者や所有者がいるわけではありません。
そして、表現形態が変わったというのも、それもまた単なる判断に過ぎず、
あるのはエネルギー的な働きのみですよね。
これだけがある。それが全てなんですよね。
この全てしかないんだとしたら、あると無いの区別も意味を失いますのでね。
全てが在る。という表現と
何も無い。という表現は同じことになっちゃうんですよね。
どっちでも無くどっちでもありますので、、、。
ちょっとややこしいですけどね。
ま、そういうわけで、湧き上がってくるワクワクに乗っかってりゃいいんですね。
乗っかるとか乗っからない以前にもうこのワクワクが在るだけなんですけどねー。
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