Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分の灯りを拠り所にしてあげると、その灯りと自身が溶け合います。

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なんだか、ワサワサして、
やらなきゃいけないことも沢山あるし、
やりたく無いこともイロイロあるし、
好きなことを探す余裕もあまりなくて、
でもなんとか、自分に光を与えてくれるような光を探し求めて、、、。
なんとか本質の道を歩んでみたい。。。

そんなこんなで、
いろんなことがあったりなかったりして、
何かしらの答えをどこかに求めちゃったりしてる時にはね〜。
何を拠り所にしたらええんやろう???
って迷ったりもするもんですよね。

 

そんな時にはね。
お釈迦さんは、自灯明ってゆーてはります。

あんた自身の光を拠り所にしたらいいよー。
ってことですね。

実際にね。
あなたは太陽のようなもんなんですよね。
その太陽が光を求めてるっていうのが、この世のジョークのようなもんなんです。

求めると手に入れられず、手放すと受け入れられ、降参すると到達する。
そんなあらゆるパラドックスも、あんた自身がすでに「それ」やからや!
光やからや!
というところから来ております。

太陽が、うわっ!月の光ってめっちゃ綺麗やん!あそこに求めてた光があるかも!
って近づいてみると、あれ?
あらへんやん!!光が!!光ってないやん!
って絶望し、

お!!!
あんなところに光り輝く金星が!!!
あそこに求めてた光があるのかも!
とまた光を求めて金星たどり着くも、

あーーー!ここも光って無いやーん。

もうぅぅ。光はどこにあるのよ。

ってね。

近づいた時には光は感じないけど、遠くにあるものには光を感じて、、、。
隣の芝は青く見えるやないけど、
どこまでいっても探求が終わらず、、、。
なーんてことになってたりしてねー。

いやいや、
光っとるのはあんたであって、光ってるように見えるのはあんたの光の反射やで。

っていうことなんです。

つまりね。
あなたが光を浴びたいと望んでも、
それは叶えられないんですよね。

あなたが「それ」を手に入れるのは不可能だというのはそういうことなんです。

だったら、どうすりゃ良いのかと言いますと、
照らされようとしとるというのをやめてみるんです。

やめてみるには、照らされようとしてるってことに気づかなきゃ始まりませんので、
照らされたい!と思ってるからには、光が足りないっていう原因となっている思いがあったりするんですよね。

その思いがどんなものであっても構わないんです。
その思いから発展するストーリーの中身がね、どんなものでも気にしなくて良いんです。

こんなスゴイ大変な思いがあるんやで!
こんなほっとけないストーリーが展開してるんやで!!

って、まるで不幸自慢大会か!って言いたくなるようなことを
たくさーん自分の中からでてきて、あーだこーだと言ってくるかも知れませんが、
ストーリーは一旦置いておいていいんです。
それらの思いの全て。
その足元にな、「自分が損なわれる恐怖」っていうのがあるんですよね。

その恐怖があると困るので、その恐怖を取り去ろうとしてるんです。

そしてとり去ろうとすると同時に
「取り去られようとしてる恐怖」がまた、取り去られないように、抵抗してたりもするんですよね。

だから、そのループを解消するには、
恐怖チャンを愛でてあげて、居させてあげると良いんです。
その恐怖の奥にあるのも、紛れもない愛そのものですのでね。
いさせてあげても大丈夫なんです。

恐怖チャンの奥に、自灯明となる灯りがあるんです。
それを見た途端、自分もまたそこに溶け合います。
溶け合うと同時に自分というものがなかったことも発見されるんです。
するとあるのはもうその灯りだけ。
その灯りが全てなんです。

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