Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

こだわりは楽しみ

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僕もよくある種のこだわりが不自由さを生み出している。
みたいなことを書いてたりするんですけどねー。

そのこだわりを、ちゃんとこだわりとして扱ってあげますと、
その不自由さはどこかへいってくれるんです。

どういうことかと言いますとね。

こだわりをこだわりじゃなく、変えようの無い現実である。
といったように捉えちゃうから不自由になっちゃうんです。

まあつまり何が言いたいのか?と言いますと、
こだわりを消そうとしなくても良いんやでー。ってことを言いたいわけなんですが、

????

ってなられる方もおられると思うので、どういうことかをもうちょっと書いて見たいと思います。

 

そもそも、こだわりっていうのは何かを支配するものじゃ無いんですよねー。
なので、自分を支配するようなものでも、もちろん無いんです。

こだわりはスパイスのようなものです。
彩りです。

そしてこだわりは乗っかって遊ぶものなんです。

一切のこだわりを消し去り、あるがままに任せる。
というのが、唯一の正解である。
みたいな考えもあったりするかもしれませんが、

こだわりをある種のスパイスですのでねー、
それを遊んだらそれで良いんですよねん。
ホントのところ。

だから、こだわりを消し去らなくても良いんです。
ま、消し去りたくても、必要なものはちゃんと残りますし、要らんもんは消えていくので、実際のところコントロールのしようはないんですけどねー。

でもどこかでこだわりから解放されなきゃならない。
それには、こだわりを消し去らなきゃならない。
っていう思い込み。
まあ、それもまた、ある種のこだわりなのかもしれませんが、
そういう思い込みはいらんのですよねー。

こだわりをね、
ふーん。こだわりでしかないのねー。
・・・。
オモロそうやんけ!
じゃ、乗っかって遊んでみるか!
と思うなら遊べば良いですし、

いまいちやなぁ、、、って思ったのなら、そのこだわりは消えていきます。
だって、いまいちやと思ってしまってますのでね。

こだわりをこだわりではなく、消しようがない現実として受け止めちゃうと、
その思い込みが、リアル感を付与しておるだけでしてね。

まあ、こだわりってのは、のめり込むほどリアル感が出てくるような仕様になってますんでね。
だってその方がよりオモロイですから。

でもリアル感もイメージなら、こだわりもイメージなんですよねー。
イメージは殴りかかってはこないですので、さほど重要視しなくても大丈夫なんです。

なので、ありとあらゆるこだわりを手放さなきゃならないわけでもなく、
今まで通り楽しくこだわりを遊べばいいですし、
どうも冴えないなぁと思うこだわりは、勝手にどっかにいってくれます。

あー、起こってるのは、こだわりなんやなーってのをねー。
こだわりをこだわりとして見てあげれば、それで良いんですよねん。

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