私というのは観念であって、実はいないんですよー。っていう言葉を聞いた時にね。、
人によっては、
やな思いばかりしてる自分なんて、もういなくてもいいや!
って思う人もいれば、
自分がいないというのは。ちょっとさみしいなぁ。
だって生きてる醍醐味が無いじゃないか!って感じる方もおられるかもしれませんね。
で、もしかしたら、自分の醍醐味を差し出さない限りは、いわゆる真実は得られないんじゃないだろうか?
でもこれを差し出しちゃうのは、ちょっと寂しいなぁ。
って思っちゃったりしてねー。
頭丸めて、自分の持ってるものの一切合切を差し出す覚悟がないとあかんのとちゃうやろか?
ってね。
でもそんな覚悟が自分にはあるのか?と自分に問うてみたりして。
でも良いとこ取り出来るとしたらどうでしょう?
やな思いは手放せて、醍醐味は取っておける。
もしそうだったら文句なしですよねー。
さらにこの醍醐味をもっと膨らませることだって出来るとしたら?
そうなったら、もう願ったり叶ったりですよね。
だったらもう願ったり叶ったりでいいと思うんです。
つまりね。
全てを犠牲にして神とか何かに帰依しなければならない。
なーんてのも、なんか楽しけりゃそうすれば良いですが、そうしなきゃいけないなんてことは全然ないですからねー。
醍醐味はそのまま味わうのは全然良いっちゅうわけです。
お金稼ぎもよし!
出世したけりゃそれもよし!
それでいて、「それ」を探求してもよし!
っちゅうわけです。
何にも失いませんのでねー。
もう安心してそのまんまにダイブしたったらええんです。
ちょっと怖い感じもあったりしますけどねー。
その怖さもだまし絵のようなもんです。
目の前にものすごくリアルに見える崖の絵が描かれてるって感じなんですよねん。
ほんとは地続きで、落ちることはないんですが、絵があまりにリアルに描かれてるもんやからちょっとそこにダイブするのは怖いなぁー。
って感じてる。
みたいな感じでしょうか?
自動運転の車なのになぜかハンドルから手を離すのが怖いって感じとも言えるかもしれませんねー。
でも今までホントにハンドルを操作してたんやろか?って考えてみると、
んなことはないんですよね。
つまりよくよく考えてみたら、なーんにもコントロールしてたことすら無いんです。
出来てたら悩むことすら無かったわけでしてねん。
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