Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

オモロイこともワクワクも探すもんやないんです。

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自分探しにしろ、オモロイこと探しにしろ、
ワクワクする方法にしてもねー。

んなもん、どこかにあるワケあらへんのですよねん。

デフォルトが、すでにそれそのもの!そしてそれそのものはワクワクと表現しとるワケです。
それを否定するから見つからんのです。

たっかいお金出してワクワク体質を身につける!みたいなセミナーに行ってもうまいこといきません。

だって、それって今をどっかで否定しとりますからねー。
そして、ワクワクも至福もオモロイも今にしかありませんからね。

どっかを探した時点で既に見失ってるんですよね。

とはいっても、
「えー!でも今が不満だから探すんじゃーん!」
って思いますよね。

 

この辺がパラドックスなんやと思うんですがね。

今、不満なことが起こっておる。
それはいいとして、わしゃどんなオモロイことしたいんやろ?
って確かめて見たらいいんですよねん。

探すというよりは、既にあるもんに気づくって感じです。

大概のオモロイことっちゅうのは大したもんやありません。
あ!ワシ、散歩したかったんや!
みたいな感じが多いです。

オモロイを表現するのに大層な理由はいらんのです。

不安や不満もね。
あってもええわー。知らんわ、そこにおりたいんやったらおったらええやん。
くらいにおることを許してあげますと、もうそれは不安や不満にはならないんですよね。

不安とか不満もその物語の中に原因があったワケじゃなく、
単に今に抵抗して摩擦が起きていただけであって、
おりたかったらおったらええわ。って許しちゃうと、摩擦は無くなって行きますんでねー。
で、それは置いておいて、わしゃ、オモロイに乗っかるとするか!
ってなもんで、乗っかりゃいいんです。

色々と、心がザワザワするようなことがあるかもしれません。
ホンマにええんか?みたいな思いとかね。

そういう時は、
「へー、そういう所に不安を感じるのかー。」
「へー、そういうところに罪悪感を持ったりしてるのかー」
って見てあげたらいいと思います。

見るだけで、直そうとしなくても良いんです。
ひとこと「可愛いねぇー」って言ってあげると、不安さんも罪悪感さんも喜んでくれます。
喜んでくれたらもう、それは不安でも罪悪感でもなくなってきます。

そうなるともう、残ってくるのは今しかなくなります。
そこに溶けざるを得ないって感じです。

で、気づくんです。
あ、溶けるっていうか、最初からそれそのものやわ。それしかあらへんわ。
ってねー。

その気づきもまた溶けていきます。
徹底的に何も持っておくことはできないんですよねん。

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