Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

にょほほ。失敗も恐怖もちゃんと起こります。

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オモロイことやればええねん。
って言っても、よくわからんわぁ。
たしかにオモロイと思うこともあったりするけど怖いこともありますしー。

くっはー!その恐怖を鑑みずにダイブするのってやっぱり怖いでー!
ってなもんですよね。

オモロイと怖いって大概はニコイチになっとるんです。
でもって、何かやるとやっぱりちゃんと失敗しますし、
怖いなーおもいもちゃんと起こりますのでね〜。
もうこの辺は割り切らなきゃしゃーないのかなって思います。

 

自我ちゃん、マインドちゃんは、自己防衛の本能みたいなもんですので、
基本的に変化を嫌がるんですよね。
わからんことはリスクになりますので、変化によってどうなるかがわからんかったら、
それは恐怖という信号として現れるわけです。

そういった恐怖があるから、湧き上がってくるオモロイも抑え込んじゃったりするわけですねー。

そうすると、どこかでそこに苦を感じるわけです。
苦は抑え込みに対する抵抗として現れてくる感じなんですよねー。

で、オモロイをやって見たいけど、怖いのもあってー。
となって動けなくなっちゃったりするわけです。

ま、そういう感じで、何をするにも大なり小なり恐怖感は出て来よるんですよね。
わからんことは恐怖になるわけです。

なので、なんとかわかっておこうと探求するわけです。

あとは、こうなって見たいけど、自分には無理だしなー。
みたいな苦もあるかと思います。

どうせできへんし、、なのにオモロイをやればええやんとか言われても、、
ってなふうになったりもしてねー。

でもこれもオモロイをやるというよりは、やった結果のリスクを見ちゃってるんですよね。
失敗に対する恐怖で止まっちゃうといいますか、、、。

はたまたオモロそうやけどこれをやったところで、何の意味があるのだろうか?
ってなことで立ち止まっちゃうこともあるかもしれません。

でも、オモロイって思ってることに意味を見出す必要もありませんのでねー。
これをやって何の意味があるんだろう?とか気にすることもないんですよねん。

そもそも人生にさえ意味はないですし。

意味を考えるのも、また腹が減るのをわかっててご飯を食べなきゃならないなんて、、、と考えてるのと同じくらい無意味なことやったりしますしねぇ。

まあ、この意味へのこだわりも不安として出てくることもあるわけですけどねー。

もうこの辺は割り切っちゃって良いと思うんですよねん。

恐怖も起こるし不安も起こる。
それでええやないか。

ってねー。

で、先にある意味なんてのもあまり気にせずに、
わしゃ、今、どうしたいのか?今、何がオモロイのか?
それを問うてみたらええんですよねん。

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