Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

癒しとは、癒しなんて必要なくすでに自分は完璧なんだということを思い出すこと

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あらゆる不安や恐怖。
それを癒すことができればその不安や恐怖が解消される!
っちゅうのが癒しの売り言葉な訳でございます。

もちろん僕も癒しは大賛成です!
不安や恐怖なんかに支配されてたらいつまでたっても自身の本分である
オモロイ!を表現できませんからね。

でもこの癒しで勘違いしやすいのは、
「自分は今、癒しが必要である。」
という勘違いなんです。

ん?
えーっと、何言ってるのかわからない。。。

なんて声が聞こえてきそうですので、
もうちょっと説明してみたいと思います。

 

まずね。
問わなあかんのは、
ホンマに癒さなあかんのか?

っちゅうことなんですよね。

あったりまえじゃボケ!
だって、こんなに恐怖があるし不安があるし、、、

さらには、
この恐怖はあれこれが原因となってやってきてて、
この不安は、自分のこの思考が原点になってて、etc。。。

と、
今感じてる恐怖や不安と一緒に癒す必要性としての色々理由がさも当然のことのように出て来ると思います。

でも、こうやってやって来る頭の中のおしゃべり。
このおしゃべりが単に必要性を連呼しておるだけで、ちょっとこのおしゃべりを一旦置いておいて、
おしゃべりに耳を貸さずに、本当に自分に、何か欠けている部分があるのか?
もしかしてそう主張しているのはこのおしゃべり、それ自体だけなんとちゃうんか?
このおしゃべり。つまり思考や感情だけが起こってて、
ホントに癒すべき自分がどこかにおるのか?

癒す理由は癒すべきという考えの中だけにあるだけで、その考えの中だけで不足した自分という自分像を作り上げとるんやなかろうか?

ってなところも見てみたら良いと思うんです。

ま、どこを探して見ても、
実際に損なわれた自分っていうのはいてないんですよね。
実体としてね。

損なうってどこを損なうのん?ってことなんです。

損なったというイメージがあるだけなんです。
最初から何も損なわれてないんです。

損なわれてないので、癒されるべき自分もいてないんです。

癒される必要はないんや。ということが見えてくれば見えて来るほど、
元々の完璧さが明らかになってきます。

完璧な中で、そうじゃないとする観念が起こってるようにみえとっただけなんですよねん。

変な話ですが、
癒さんでもええんやん!が明らかになればなるほど、癒されていくんですよね。
この辺はちょっとしたパラドックスなんですねー。

なので癒しの本質は、元々の本来の自分を明らかにしていくということなんです。

本来の自分は、自分ですらないありのまんまの完璧さなんですけどね。

ま、
そういうことですので、癒すというのは大賛成なんですが、
足りないを出発点にして何かを埋めようとするよりは、

まず、あなたは「何かが足りないということはない」ということを念頭に置いて、
そう思えない邪魔をしとる思考があって、それにどうしても巻き込まれてしもとるんや!
ということを頭の片隅にでも置いて置いたら良いかもです。

しかも、巻き込まれてたとしても巻き込まれても全然オッケーなんやで!
って言うことなんです。

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