おっはよーございます!
タクさんです。
何かしらの不安とか恐怖とか。
そういうのがあったら、どうしてもそれを変えたい!って思っちゃいますよねぇ。
はたまた、
こういった非二元的な話を聞いたりして、
自分にはわからないと思ったとしたら、やっぱりこれがわかると楽になれそう!
なんか、オモロそう!
今、自分はわかってないからわかった自分になりたい!
ってねー。
思ったりして。
だからこそ、いろんな催しに参加したり、話を聞きにいったりして
自分を変えようと思っとるんや!
ってやってる方もおられると思うんですよね。
でも、大概は、なんも変わらんし、変わらんでええねんで〜。
みたいなことを言われてたりもするわけです。
そんな時。
そっかー変わらなくてもええんやぁ。。。
大丈夫なんやぁ〜。
って安心するのも束の間、
しばらくすると、
変わらんかったらずっとこのままやんけ!
やっぱ変わらな始まらんやんけ!
みたいな思いに駆られたりして。
でもねー。大丈夫なんですよね。
そもそももう起こってることはすでに起きてますので。
それに逆らおうとしている間だけ、なにやら不安やら恐れっぽい思いが出てきてるわけですが、何かを起こしている行為者はいてませんのでねー。
変えたい!って衝動が、あるように見えてるんですが、それは後付けのイメージなんです。
つまり実体はないんですよねん。
でね。
その実体のないその衝動をどうにかすることはできませんが、単に見ることくらいは出来るわけです。
見るというのは、衝動をそのまんまにしておいて、相手にしないのに似ています。
「よっしゃ!その衝動を見ることによって抑え込むぞ!」
みたいな意思はちょっと邪魔になっちゃうんですよね。
道路の向かい側に歩いてる坊主の中学生。
そのくらいの興味のなさで単に見てみるって感じです。
関心は寄せないって感じでねー。
変わらんでええんやで。
っていうのは、なにも無気力になるわけでもなく、
問題を放棄するというのともちょっとニュアンスが違います。
それよりは、真っ向から問題に対峙するって感じの方が近いわけです。
とはいっても、どうにかするということじゃなく、まず、そのまんまを認めるんですよね。
そんな変わらんでいいっちゅうことが、受け入れられると、不思議なことに変わってくるんですよね。
変な話ですが、変われ!という声に惑わされにくくなるんです。
安心感が増してくるといいますか、元々あった安心が取り戻されていくんです。
また「変われ!」っていう衝動の行き場もなくなってきますので弱まってきます。
そう気づくと、「あかんやん」っていう思いがあってもいいんやんって益々受け入れられていくんです。
「アカンやん!」→「ええやん!」→「どないやねん!」
がいっぺんに来る感じです。
ありのままへの抵抗がどこかを探求するエネルギーの源泉ですので、その源泉が枯れて来ますとね、どこかへ目を向ける必要性も枯れてくるんですよねー。
すると「ありのまま」だけが残ってくるわけです。
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