Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自己肯定感ってダルくない?

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おはようございます!
掛け算の九九は早口で切り抜けるタイプだったタクさんです。
皆さまご機嫌いかがでしょうか?

さて、今日は自己肯定感ってダルない?っちゅう話です。

いや、別にだるくないし、だるいとかだるくないがなんで自己肯定感にあてはなるのん?
って思われるかも知れませんが、、、。

 

でも、やっぱダルいですよねぇ。
何がダルいのかと言いますとね。

まず、そんな自己肯定感の声に従うのがダルいじゃないですか。

よくわからんそんな奴のためにおべっか使い続けなきゃいけないんですよ。
肯定感さんをヨイショし続けなきゃならんのですよ。
だるいわ〜。

この肯定感を満たすために、変に自信があるように装ったりしなきゃいけませんし、
何かしらの能力を持つものになり続けなきゃなりませんし、
誰かに認められ続けなきゃならんわけです。

そして、この自己肯定感そのものにも、
「うん。良くやってる!エライ」
って思わせなきゃならんのです。

ひぇぇぇええええ。
ちょーめんどくさーい。
ちょーだるーい。

しかも自己肯定感さんは四六時中目を光らせてますからねぇ。
誰かにちょっと冗談を言われただけだったりしても、

「は!!!!バカにされてるのかも!!!!」

とか騒ぎ出しよりますし、

ちょっと失敗しただけでも、

「は!!!!これではあかんヤツやと思われる!言い訳考えなければ!!!!」

ってなりますし、

さらには、自己肯定感さん自身が
「わしが悪いんやない!環境が悪いんや!単に運がなかっただけや!社会が悪いんや!」

とか言い出したりしますしねぇ。

その時にそーだそーだ!って乗ってやらにゃならんのです。
忙しいわ〜。

環境も運も社会も、そんなもんないんですけどね。
そういう登場キャラを作り出しては悪者にしよるわけです。

また、自信のなさに対しては、誰かを批判することで溜飲を下げたりね。

いつしかこの自己肯定感さんは自分自身のことだという勘違いも始まり、
親鳥が卵を守り周りを威嚇するかのように、
自分を守ろうと必死になっちゃったりしますし。。。

「わしの誇りを傷つけるものはなんぴとたりとも許せぬ!!!」
みたいな感じでね。

自分を自分が守るて、、、。
ねぇ。

自分は何人おるねん。どっちが自分やねん。
っちゅう話なんですけどねぇ。

と、言うわけでやっぱり付き合うにはちょっとダルいんですよ。
自己肯定感さんって言う奴は。

こうすべき、ああすべき!とか、ガンガンルールを作るのも
この自己肯定感さんだったりします。

すると、どんどん自由が奪われていっちゃうんですよねー。

でもこの肯定感さんは、まず、自分ではないんですね。
単なる恐れの副作用みたいなもんです。

この子のいう通りにすればするほど、恐れを確立させちゃったりするわけです。

まず、自分やないので、ほっといて良いんですよね。

あ、またこんな声が起こってる。
肯定感ちゃんがキャンキャンゆーてる。
多分、怖いんやね。撫でて欲しいんやね。

ってねー。気づいてあげると、
「はいはい怖くないよー。大丈夫やよー」
ゆうて撫でてあげられますのでね。

キャンキャンっていうこの声はちゃんと撫でて安心させてくれー!
って言う声やったんですね。

言うことを聞くよりは、慰めて欲しかったんです。

ほっときながら、その声を聞いてあげると
単なる恐れやったんやね。っていうのも見えてくるんですよねん。

見えちゃったなら、撫でてあげたら良いんです。
声に従わなきゃならぬ!という観念がダルさやったんですねー。

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