Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

固執すると視野は狭くなり、リラックスすると固執の力は解けていきますが、どっちでもええやんけとなると、こだわりは無くなります。

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僕らは掴み取ったモノの中だけを世界と認識してたりします。

でもってその掴み方なんですが、
ふんわーりと掴むよりは、ギュって掴むほうが、掴んでいる手の中はとっても狭くなりますよね。

ぎゅっと力を入れれば入れるほど視野が狭くなってくるのも、そんな感じなんです。

で、自分を変えたい!と思うのなら、掴んだものを手を開いて放さなきゃなりません。
けど、掴んだものを手放すのってちょっと怖かったりするんですよねん。

自分を変えたい!けど、掴んだものを手放すのは怖い!

手放してちゃんと安心な新たなものを掴めるのかどうか?
そこがわからんから怖くなるわけです。

わからんことっていうのはリスクですからねー。

なので、リスクを回避するために先にわかっておこうとしちゃうわけですが、
いつまでたってもリスクは付きまとうので、探求が終わらなくなっちゃったりするわけです。

 

絶対的な答えっていうのはいつまでたっても、どこを探しても見つからないんですよね。

絶対的なものを掴んでおきたいのにそれは絶対に見つからないんです。

でも、大丈夫なんです。

なぜなら、掴んでいると思っているもの。
その手を開いてみると、実は何にも無いんです。

わしゃ、単なる空間を大事に握っておったんか!
ってなもんです。

何かを捨てて新しいものを掴んだと思ってたのに、
じつは、空間の中で、手をグッパグッパってやってるだけやったんですね。

掴んだ気になっとっただけやったんです。
だから、絶対的なものを掴まなくても大丈夫ですし、
掴んでいるものを手放しても大丈夫なんです。
今までだって実は何にも掴んでなかったんです。

なんか掴んでる気になってたから、更により良いものを掴みたがっていて、
それで探求をしておったっちゅうことです。

でも手を離してみると、そこにあるのは単なる空間です。
で、その空間は手の中だけにあったわけじゃなく、ありとあらゆるものもその空間の一部であり、空間そのものやったわけです。

そんな空間の中で、手をグッパグッパとしてみたり、時にはギュッと硬く握り締めたり。。。
そんなことが単に起きておっただけなんです。

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