Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心という自然現象

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色々な思いはやってきては去っていきます。
感覚や感情もそうです。
そういったものを総称して心だと表現されたりもしますが、
そういった心も常に一定である何かとして存在してるわけじゃなく、
あらゆる思いや感情がやってきては去っていく。
その現象を心やというとるわけですね。

自分がなにも考えように、なにも感じないようにしようとしても無理ゲーですよね。
起こってくるもんは起こってきますし。
ただそれをほっておくことは出来るわけです。
置いておくというほうが近いでしょうかねぇ。

ただ、ややこしいのは、自分という存在も、考えの中の一つであって、
自分が何かをしてるというのもまた、考えの中の一つでしかないんですよね。

 

なので、自分が何かをするということはない。
誰もなにもしてない。
なので、置いておく誰かもいてません。

なんて表現もされたりするんです。

すると、自分なんていないんやからこれも嘘であれも嘘なんやないか!
それって、なんか寂しいやないか!と思ったりするわけですが、
その思いは考えの中の思いなんです。

考えは、ただ外に吹く風のように単に起こっては消えるんですよねん。

ただ、その風に向かって突っ走ると風当たりは強くなるわけです。

そうそう、なんで風が吹くのか?って知ってます?

もちろんいろんな理由があるわけですが、大きな理由は地球が自転しとるからなんですよ。
自転しとるから、その影響で大気も動くし、さらに太陽の光が当たったり当たらなかったりして、温度の変化の影響も受けて風が吹いとるわけです。

実は風の方が自分に向かって突っ込んできとるんじゃなくて、
自分が地球という乗り物に乗っかって風を起こしとったんですね。

思考とか不安な思いや感情も、それを抑えようとすると、
抑えようとするからには抑えるべきモノが必要になり、
そこへ突っ込むことによって実は発展させていたりするのかもですね。

不安やら感情がこちらに向かって襲ってきとるんやなくて、
自らが突っ込んでいって巻き起こしとるんや!っちゅうことだったりしてね。

さて、いろんな経験にしろ現象にしろ、思考にしろ感情にしろ、
これらは実は起こっていて起こっていません。

これ、一見とっても奇妙に思えるかもしれませんが、
そーねー。単に起こってるだけやからほっといたろ。。。
てな感じで置いておいてみると、なんもなかったんやん!
注目してあることにしとったんやん!てなことにも気づいてきます。

じゃあ、なんもないのか?というとやっぱりまた起こってきます。
で、またほっておくとそれは消えます。

これね。
コインのオモテとウラのようなものであって、
オモテもウラもおんなじコインやないですか。

オモテ面を向けたらコインがえらいことになって、ウラを向けたらコインが変化して安心になる。
みたいなもんでもないですよね。
どっちも一緒のコインやで!ってことですのでねー。

起こっていようが静寂だろうが、それも同じなんです。
なので、起こっていて起こってないんです。

いわゆる悟りの視点だとか、静寂にこだわっちゃうと、
それはそれで、こだわりに囚われるだけですので、
そういうこだわりもほっておいたらいいんです。

何かを掴まなくても大丈夫なんです。
絶対になにかしらを掴まないと始まらんと思ってたけど、
ホンマに大丈夫なんや!ってことに気づくこと。

それが気づきなんだと言えるかもしれませんねー。

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