Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

経験はあるけど誰も経験してない。

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あんたねぇ!
「私はいない」とかいうけど、
それを言ってるあんたは誰なんよ!

てねー。
思いますやんねぇ。

たぶらかさんといてー!
ってねー。

そうそう。
なかなか手強いのは、どうしても残ってしまう分離という大前提なんですよね。

言葉ってね。
なにかを指し示す道具ですので、その言葉で非二元を語ろうとすると、言葉になった時点で、半分は嘘になります。

「私はいない」っていうのは半分ホントで半分はウソってことになります。

だってホントに私がいないんなら、「私はいない」って言葉すらでてきませんのでね。
なんで私という言葉を知ってんねん!ってツッコミたくなりますしね。

どういうことかと言いますと、
「私はいない」というのは、まず「私」という存在をある種認めてることになりますよね。
みんなが知ってるこの「私」っていうのがまず有りますよねー。
っていう大前提があったうえで、
その「私」って実はいないんですよーん。ってゆーてるわけでして。

変な話、私を題材にするからにはどっかに「私」がいないと成り立たないわけですが、
実は、「私はいない」っていうのは、この題材としての「私」の不在を説いているというよりは、ありとあらゆる題材づくり、この題材こそ単なるイメージであり幻想のような、夢のようなものですよん。
ってゆーてはるねんな。
「私」っていうのもこの題材の一つやというわけか。
みたいにね。思ったらええかもしれませんねぇ。

 

で、そういったあらゆる題材が作られる大前提には、分離という概念があるわけです。
物事を捉えるにはこの分離の概念が欠かせないんですよね。
そうじゃないと輪郭がはっきりしませんからね。
輪郭、境界線がないとイメージとしてつかみ取れませんからねー。
また、イメージの中で作り上げなきゃいけないので、よりはっきりとした分離の概念が必要になるわけです。

そうやって分離の概念を使って新たな概念を作り上げ、
「そうか!わかった!つまりこういうことか!」
ってなるわけです。
さらに、概念に概念を付け加えてより細かく、整理整頓していくわけですねー。
そういう整理整頓が良いとか悪いとかいう話じゃなくて、それはそれでイメージの中の整理整頓な訳でしてそれ以上でもそれ以下でもないわけです。

どんな整理整頓もイメージであるってことですね。

まあ、こういうことをごちゃごちゃ突き詰めようとしても、その突き詰めようとする衝動そのものが何かを掴もうとする話ですので、この辺で切り上げるとしまして。

結局分離の大前提っていうのは、誰かが何かをする。

みたいなね。主体と客体があるわけです。

それを当然の大前提として持ってたりするんですよね。

だから、私はいないっていうなら、それを言ってるあなたは誰なの?
っていう疑問がわくわけなんです。

それは単に言葉が現れてるだけです。

ってね、言われても、???ってなっちゃうんですよね。

頭かいたら、かいたっていう経験はあるし、
ぺちこーんっって自分のおでこを叩いてみたら、
ジンジンするわけですから、
その経験をしとるやつは自分なんとちゃうんかい?
ワシのおでこがジンジンしとるわけであって、あんたのおでこはジンジンしとらんやろうがい!

ってねー思うわけです。

たしかにそういった経験はありますよね。

でも、それって、厳密に言うと名もなき経験だけがあるわけであって、
誰かが経験してるというのは後付けの概念なんですよね。

なんでやねん!
ワシの経験はワシしか感じられへんやんか!
だったら、ワシが経験しとるんやんか!
って当然思うわけですが、
それも、たんに起こる経験に、「主体と客体がある」という観念が後付けされて、
さらにその後に、
だからこの経験は、ワシの経験なんや!とみなしておるだけです。
で、ワシの経験があるから、あなたの経験というものが成り立ち、概念が発展していくわけです。

で、ワシはこんなんやけど、あの人は良いなぁって比較が生まれたりするわけなんですよね。

ワシとあなたが同じ概念を共有するので、よりリアリティが強化されるわけですね。

でも、どこまでリアリティが強化されようが、リアリティも概念もイメージの産物であることは変わらず、
単に名もなき経験が起こってるだけなんですよねん。

イメージの物語から目覚めたとしても、イメージがわく機能はちゃんと働きますが、イメージだけに意識を集中しなくても良いってことがちょこっとわかってきます。

この辺がより明らかになってくると、
イメージを排除するってわけじゃなく、そうやって湧いてくるイメージが可愛くなってくるんですよね。

だって、イメージを作り出す根源にある、ある種の恐怖は、愛でてほしい!から出てきてたりするんですもんねぇ。

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