例えばね。
東京の天気さんと名乗る者がいたとするじゃないですか。
そいつがね、
「わし、最近晴ればっかりやねん!」
と得意げになってたかと思うと、
「あー、今日は月曜日の朝だというのに嵐になってもうた!」
って落ち込んだりしてね。
時に、
いつになれば、わしは天気を思い通りにコントロールできるようになれるのか?
と思ったり、
はぁ、、、
わしの天気人生は何が正解なのか・・・。
晴れが良いと言う人もいれば、今年は雨が少なくて水不足です!
と騒ぐ人もいる。
わしだって、できればみんなが納得する天気でいたいのに・・・。
認められる天気を創造したいのに・・・。
ってね〜、落ち込んだりして。。。
おいコラ!
ゲリラ豪雨やめえや!昔の東京天気さんはそんなに頻繁にゲリラ豪雨なんてことは起こさなかったぞ!
と怒鳴られて、
ああ、まだまだ、わしゃ天気としての能力が足りないと人知れず枕を濡らしたり。。。
みたいなねー。
人なのか?何かなのか?は知りませんけど、
東京の天気さんなんていうね。そう名乗る者がいたとしたら、
っていう他愛もない話なんですけど、
もし、そういう者がそんな悩みを持ってたのだとしたら、
東京の天気なんておらんわい!
空はひとつながりじゃ!安心せいそこに悪者はおらんっ!
ってね〜。
いってあげたくもなるやないですか。
しかも、それ以前に雨が良いとか晴れが良いとかも一概に言えませんし、
それの良し悪しは、後付けされた理由によって変わって来ますし
その後付けされた理由にも、別段正当性があるわけでもないですしね。
天気っていうのも、ひとつながりの流れですのでね。
地球が回って大気が風となり、水は蒸発して雲となり、
雲は静電気を生み出し雷を生み、大地に雨を降らすわけです。
これらの流れの一部分をつまんで、名前をつけるとすると、
それが晴れだったり、雨だったり、雲だったり、降水確率50%だったりするわけですね。
一部分をつまむとそこに意味があるように見えますが、
実際にその流れには意味はないわけです。
部分をつまんで初めて意味が付与されるんですよねん。
僕らの心や身体も同じようなものでしてね。
心とか身体って分けてつまむと何やら意味があるように見えてきますが、
ほんとは心や身体も全体の流れな訳です。
心や身体以外とも密接に関連して流れとしてあるわけです。
感情と思考に境界線はなく、心と身体にも境界線はなく、空気と身体にも境界線はないんですよね。
境界線があるのはイメージの中だけなんです。
それは、雨と晴れの境界線がなく、雲と空の境界線がないのと同じようなものです。
これも、境界線があるとすれば、それはイメージの中でだけって事になるんですよね。
イメージの中で、境界線が作られ、イメージの中で、物語が紡ぎ出されるんでねー。
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