Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

不完全さへの許しが完全さを明らかにさせる

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この話が役に立つのか?といいますと、役に立ちません。

ど・な・い・や・ねーん!
役に立たんのかーい!
ってことなんですけどねー。

ええですやん。
役に立つとか立たないとか。
そういうのに振り回されなくてもねぇ。。。

っていうねー。
そういうお話なんですよねん。

とは言っても、やっぱりね。
役に立つもんを集めたいやないですか。

なので、
いっつも自分にこれは役に立つの?意味はあるの?
みたいな感じでねー。
常に自問してる。ってこともあるかもしれないですね〜。

 

もちろん、何かの役に立つもんを集めたいのは、
不完全さがあるからですね。

なので、より完全な方向を向いていたいわけです。

よくあるメッセージで
「全てはすでに完璧なんです」
っていうのがあったりしますが、

それを聞いても、
じゃあ、今の私はまだ完璧じゃないから何かを見落としてるんだ!

ってね。
思いがちだったりするんです。

そして、その足りないピースを探し求めるんですよねん。

すでに完璧なんですってゆーてるのに、
いつの間にか完璧じゃないという解釈が生まれてしまうわけですね。

『ちゃうんですよ!もうすでに完璧なんですよー!』
「でも、そうは思えないですし、その証拠もあるんですよ!」
『うん、そうは思えないも含めて、完璧なんですよー!』
「え???でもそう思えないんですけど???」

って、堂々巡りをしちゃったりしてね。

その、完璧やないからやっぱり探さなきゃイカン!
っていう最初のボタンがね、もうかけ違ってるんです。

何かしらの思いを参照することによって、
その思いの中に取り込まれちゃってるわけです。

一旦、その思いを置いておいてみる。
今だけね。

そして、思いを置いたままだともしかしたらちょっと居心地が悪い感じがするかもしれません。
それも、ちょっと置いておいてみるんです。

居心地の悪さもたまにはイイジャナイカ!
ってことでね。
思いの判断が張り付いていない、居心地の悪い単なる感覚を意味付けするでもなく、
そのまんま受容してあげてみるんです。

すると、もしかしたら、今まで自分は水ではなく、波の方に注目しとっただけなんとちゃうんか?
っていうね。
その可能性を感じ取れるかもしれません。

波をそのままに、意味づけをするでもなく、相手をするわけでもなく
そこにあることを許してあげてみて下さい。

意味づけのない何にもなさに、リラックスしてみるんです。

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