ずーっと杖がないと歩けへんってね。
そういう思い込みがあっただけなんですよね。
不意に手が滑って杖を手放しちゃった時。
ちょっと焦るんです。
やべ!って感じでね。
でも、あれれ?杖なしでもイケるやん!
ってその時同時に気付くんですね。
はい。
おはようございます。
タクさんです。
冒頭の文章の「杖」っていうのが、思考のことですね。
ちゃんと思考でもって、納得しておかないと危ない!
っていう思い込みがあったりするんですね。
いくらイメージで準備してても、
そのイメージ通りに行くこともあれば行かないこともある。
すると、より精度の高いイメージを作り込んでおかないと!
とまた色々と考え込んだりするんです。
ま、これは人としての本能のようなもんですのでなんら問題無いんですけどね。
そこに妙な強迫観念がつきまとってると、
なんていうか、妙な重みとなってのしかかってきてるような・・・。
そんな深刻さがあったりするんですねー。
解放とか悟りとか私はいないとか気づきとか、
そこはなんでもいいんですけど、
起こるのは、その重みの嘘さへの見抜きなんですよね。
だって、重みっていうけど、実体のないイメージに重さがあるわけがないですからね。
なんで重たいって思ってたんや?
っていう気づきなんですね。
とは言っても、重みを感じる以前の感覚は従来通り感じるわけです。
ただ、その味わいが変わるんです。
子供の時は苦くて臭かったビールが美味しくなる。
ってのと似てるかなー?
また変な例えですけど、
苦味はあってもそこにあると思っていた重みはないわけなんです。
だから、何にも変わらないけど、楽になるんですね。
その重みさえも愛しく感じるんです。
愛しさとは分離のなさです。
無条件の愛なんですね。
分離なんてないありのままのそれに、分離という条件をつけてる間は条件付きの愛です。
条件とは分離という設定のことなんです。
その設定がないことが条件のなさってことなんですねー。
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