Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ゼロですでに満タン!

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この前ね。
とある喫茶店で作業をしてたんですよ。

その喫茶店はコーヒーのおかわりが自由なんですね。

で、コーヒーを頼んで作業をしてたんですけど、
そのお店のトップウェートレス!みたいなお姉さんが、
コーヒーのポットを持って店内をくまなく歩き回ってるんです。

お客様のコーヒーが少しでも減っていたら注いで差し上げる!のが私の使命!!

みたいな顔つきで、獲物を探す鷹のような目で、
空いたコーヒーカップを探してるんです。

で、作業をしてつつコーヒーを飲んでましたらね。

「はいどーぞー」
ってすぐにコーヒーを注いでくれるんです。

で、僕も元来の貧乏性ですのでね。
コーヒーはどうも残すのが気がひけるわけです。

なので、よし、このコーヒーを飲み干すまで作業しよか。
ってなもんで、作業を続けるわけなんですが

なくなりそうになった時、ちょっと油断したら、
ササっと注がれるわけです。

すると、また残すのは気がひけるじゃないですか!
で、頑張って飲むんですけどね。

と、そんなこんなでお腹タプタプになっちゃいました

おはようございます。
タクさんです。

 

ま、
冒頭のコーヒーじゃないですけど、
自我ちゃんもね。
損なわれると、その分を埋め戻そうとする動きが起こったりするんですよね。

まあ、自我ちゃん自体が実体があるものじゃないですので、
ここはイメージ上のもんなんですけど。

何かしら自分が損なわれた。
みたいな思いがあったとしたら、その分をどうにか埋め戻そうとするんです。

で、埋め戻せるまではどうにも居心地の悪い、苦痛のようなものを感じたりするわけなんです。

ダメだーという思いがあったとして、時にそれが劣等感として残ってたりすると、それを自分の外に求めてしまったりね。

それが、ある種の批判心になって出てきたりもするっぽいです。

でもそやって外に自分を埋められる何か?を求めてもキリがないですからねー。
結局のところ、その外という設定も自分で作ったもんやったりしますのでね。

どんだけ損なわれた!と自分が思ってたとしても、
全部損なわれて、ゼロになったとしても、

そのゼロの自分がすでに完全で完璧に祝福されてる存在ですのでね。

埋め戻そうと必死にならんでも良いんです。

失敗しても、恥をかいても、ケロッとしてたら良いんですよねー。

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