Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

起こってる全てのことに理由というものはありませんねん。

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起こってる全てのことに理由というものはありませんねん。

ってね〜言われちゃうと、
なんかゾワってしてきません?

「んなわけあるかーい!」てな具合でね。

例えばね。
今持ってるスマホから手を離しますとですね。
ほれ、落ちたやないかい!

これは、ものは下に向かって落ちるときまっとるからやー!
それは立派な理由やないかーい!

さて、この落ちるって話は
万有引力って言うもんがあるからやと言われとりますよね。

 


万有引力といえばニュートンでございます。

そうそう、僕、ニュートンと同じ誕生日なんです。

ニュートンってちょっと変わった人で、常に何かに夢中になってるって感じで、
時にはズボンを履くのを忘れて外出したりしとったんだとか・・・。

僕も結構夢中になって色々やっちゃうパターンが多いですので、ズボンだけは忘れないようにしなきゃ・・・。

さて、このニュートン。
どっかで聞いた話なんですけど、りんごが落ちた場面を見て引力を発見した!
とか言われてますけど、その時、ニュートンには
りんごが下に落ちたという風に見たのじゃなくて、
りんごに向かって地球が引き寄せられた!
みたいな見え方をしたらしいんですよね。

で、
あれ?
これって、下に落ちとるんや無くて、お互いに引き合ったんじゃないのん?
ってことは、このりんごの重力は月とかにも影響を与えとるんとちゃうのん?
もしかしてすべてのモノってお互いに引き合ってるんじゃないのん?

みたいな発想に至ったのだとか・・・。
ま、聞きかじりの話なんですけどね。

つまりスマホは下に落ちたわけじゃなく、地球とスマホが引き合ったんですな。

ニュートン以前は、アリストテレスが提唱していた、
石から手を離せば、地面に落ちる。
それは石が土に帰ろうという性質があるからや!
この性質が多いほうが重いんや!

って言う理論が一般的になっていて、ものは地面に落ちるって言う地面がベースになっとったわけなんですけどね。

ニュートンがその考え方を発展させたわけです。

で、そのニュートンの後、
時間や空間は常に一定なんやで!
となっていたニュートンの考え方をアインシュタインが、
時間も空間も伸びたり縮んだりするで!
と、相対性理論でさらに発展させたわけですね。

最近は相対性理論をさらに発展させた世界観もどんどん出てきたりしとるわけです。

ま、
上から下に落ちるって考え方は何千年も前のアリストテレスの頃の考え方で、
もう古いんでッセ!
って言いたいわけでもなく、完全な世界を表す公式は無いって話でもなくてですね。

どれもこれも、理由になってるのは単に聞いた話ですよねぇ?
それを理由としてリアリティをもって認識しとるだけですよねぇ?

でもって、
このリアリティっていうのも疑わしいもんですよねぇ?
ってことなんですね。

ま、どんな理由を採用しようが良いんですけど、
どの理由が正しいとか、間違いとか、
そういうもんでもなくて、
たんに、理由にリアリティを概念上でくっつけとるだけでしてね。

ホントは理由にリアリティなんて無いねんで。
ということでございます。

なんていうか、理由の中にリアリティがある。
真実があるはず!っていう誤解があるのかもしれません。

で、その誤解が、
あれはどうなってるの?
コレはどういうこと?
と理由の探求に入り込むきっかけになっとるんとちゃうんか?
っていうね。

理由って無いんですよ!
ってな話を聞いても、何かゾワっとしてね。

理由がないとするのなら、
あの場合は?この場合は?と理由のなさに対する理由づけを探したりしちゃうわけです。

理由のなさの理由を探しつづけるわけですね。
それほど理由リクツを自分という観念は欲しがるわけなんです。
そうやないと、不安なんですね。

で、それがないとどうにもならん!理由がないと始まらん!って思うわけです。
そしてこの理由こそが原因と結果という物語を作り出す元素材でもあり、物語の中しか世界がないという誤解を生み出すわけでしてねー。


なので、ちょっくら落ち着いて、
この理由のなさに落ち着いて見ると良いと思うんです。
わからんままにいてみる。ってことですねー。

そうすると、理由への探求が、原因と結果という概念の世界に入り込む入り口やったんやん!
てなことが明らかになるかも知れません。

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