Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

分離とワンネス、ワンワンワン

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分離とワンネス

数年前はワンネスワンネス。
ワンワンワン。

てな感じで「それ」を表現されてましたけど、
ここ数年は非二元、非二元、ノンデュアリティ。

ってな感じですね。

お早うございます。
タクさんです。

ここ最近は妙な運動を始めたため、筋肉痛が痛いです。
頭痛が痛いみたいな言い方になりましたが、
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

 

分離のなさ。
その分離のなさがあるだけ。
なんですけどね。

そう聞くと、
分離がないということはつまり、ワンネスってことね。
って思ったりするかもしれませんよねー。

ま、言葉で表現するとそういうことかも知れませんけど、
ワンネス!っていう感覚を得る。
ということでもちょっと違いましてね。

単に、在るがあるだけ。
分離のなさがあるだけ。

て方が近いかも知れません。

分離がないから、つまりワンネス。
っていうのも、ある種の概念でしかないんですよね。

非二元っていう言葉も多分そういうことを言ってはるんやと思います。

ワンネス!っていう感覚も一つの概念だよね。
実際は、分離だけがない感じだよね。
分離というのは物事を二つに分けるということ。
この二つにあらず、つまり非二元だよねー。

ってね。
ま、言葉で表現されてる時点で概念なんですけどね。

非二元もまた違う表現に置き換わっていくんでしょうねー。

次は、
〇〇でない。が在る。
ノンティー。

てな表現になったりして。

無いが在る。
ってのは、ちょっと良い線いってる気がしますが、

わかりまへん!が在るだけですねん。
略してワカアル!

ってのが良いかな。

ま、どうでも良いか。

いずれにしましても、言葉は重要ではありませんし、
自分という感覚も、目の前の現実も、
それそのものです。
単にそれを分離として見ているか、そうじゃないか?
ってだけで、おんなじものです。

見方を変えるという話とはちょっと違うんですけどね。
ポジティブシンキングとか、引き寄せのなんとかといった話は
どちらかというと、見方を変える部分に焦点が当たってるような気がしますけど、

この話は、
何かしらの見方があるのなら、そうやって「それそのもの」を見てるだけだよねー。
ってことなんです。

何かしらの見方をもって見ると、何かしらの見え方がするかも知れませんが、
それそのものには違いがない。
そのことの気づきなんですね。

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