Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考は消さなくてもよろしいねん。

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思考と距離を置いたりね。
物事をそのまんまダイレクトに見るっていう、
ダイレクトパスってやつ?

ああいうのも、とってもいいと思うんですよね。
リラックスできますのでね。

でも思考を消したり、物語が起こらなくなったらそれがゴール!
っていう話でもないんですよねー。

 


あまりに思考の現実感に囚われてたら、
どうしてもいろんな思考やら感情に振り回されてしまいます。

それだと、何にも始まらないので、一旦距離を置いて見る。
そして、単に見て見るのはとってもいいと思うんです。

でも、単に見て見るというのと、思考や感情が起こらなくするっていうのは
別の話ですのでね。

無思考状態にリラックスするのも、とってもいいことではあると思うんですけど、
それが「それ」なのか?というとそうじゃないんですよね。

「それ」の状態がずっと続いてるんですか?
ってなことを
結構僕も聞かれるんですけど、
たぶん、この「それ」の状態って思考や感情がから解き放たれて
めっさ良い気分になってる感じ?
のこと言ってるんだろうなぁ?
とおもうわけですが、

イヤイヤ、そういう事じゃなくて、
良いも悪いも今まで通りに起こるんですよ。
ただ、悪いも良いもないんです。
単に好き嫌いがあるだけでしてね。
そして、好きも良ければ、嫌いも良しなんですよー。

みたいな返答をしてるわけですけど、
答えていながら、こういう答えは求められとらんのやろうなー。
なんて思ったりもしてるわけです。


「苦」ってあるじゃないですか。

これって、思考や感情のことじゃないんです。

嫌な思考や嫌な感情。
それが「苦」そのものなんだと考えたりしがちだと思うんですけどね。
なので、
「苦」を滅却しよう!みたいな考えがあったりもすると思うんです。

その元である思考を消そうと試みたり、
感情を癒して解消させてあげようとして見たりね。

もちろんそれはそれで良いんですけど、
実は「苦」っていうのは、何度か書いてますけど、
思い通りにならない事ですのでねー。

そういえばどっかで聞いたことがあるんですけど、
元々の苦という意味は、車輪の軸がズレとる。
っていう意味なんや!
って聞いたことがあります。

罪というのも、実は的外れっていう意味なんやでー
って聞いたこともあるので、それに似た意味なのかもしれませんね。

つまり、思い通りにしようとすること自体がズレとる。
っていうことなのかもしれませんね。

いや、面倒なので調べてませんけどね。
なので全然違う意味なのかもしれませんけど、知りませんけど、、、。

ま、何がズレとるのかと言いますと、元々のそれそのものとズレとる。
ってわけです。

元々のそれだと具合が悪い!から変えようとするわけですね。
でももうすでにそれそのものですので、それを変えようとすることが
なんていうかズレてますねん。
この変えようとする衝動の元となっとる思いがズレとるねん。

ってな感じでしょうか?

空に浮かぶ雲に対して、
なんで丸っこい形になってるねん!もっと長細い形になってくれなきゃ困るねーん。
って叫んでる感じ?ですかねー。

そうだとすると、じゃあ長細くあるべき!っていうこの思いがあかんのや!ってなって、
こちらを矯正しようと思ったりするもんなんですけど、
そうしようとすればまたそれもズレちゃったりしてね。

どうにかしようとすればするほどズレていく。
みたいなねー。

あ、、、そっか。
やな感じもそれで良いんやん。
何を騒いどったんや?

っていうね。

長細くあるべきっていう思いが単におこっとっただけで、
それはそれでええんやん。
っていうねー。

ややこしいかもしれませんけど、そういうことなんです。

苦はやな感じの中にあるんじゃなくて、
どうにかしようとアタフタするこの働きのことやったんですね。
だから、苦はエネルギーとか言われとるわけです。
働きですからね。

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