Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

高尚やないと困るねん

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自分っていう観念。
つまり自我ちゃんね。

この自我ちゃんは、ある程度は偉くなきゃならんって思っとるんですよね。

実際に自我ちゃんと言ったものはないんですよ。

これは分離感です。
あるがままの「それ」。
つまり世界そのもの。

その「それ」しか無いわけでして、
この「それ」こそが生命であり、ダイレクトにその生命を生命自身が感じているわけです。

で、ここで中心点が設けられる時にね、この中心点が自我ちゃんとなり芽吹くわけです。

で、この芽吹いた自我ちゃんも「それ」そのものなわけですけど、
そのなかで中心点といった観念が出来てしまっておりますので、中心とその他。
といった観念も生み出すわけですね。

 

で、自分とその他ができてきて、
分離するわけです。

そこである種の誤解が生じるんです。

それが、自分が死んだら、自分の生命が失われる。
といった誤解ですね。

この恐怖から自分を確立させ、より良くしていこうと試行錯誤しだすわけです。

というわけで、自我ちゃんはある程度、偉くなきゃならんわけですね。

かしこじゃないとあかんのです。


で、わからんことがございますと、それは高尚なものじゃないと困るわけです。
それが「当たり前」のことだとしたら、それがわからん自分は
カシコじゃない!
ってことになりますのでね。

アホやと困るわけです。

多分ね。
そういうことから、ブッダの言葉とかは
ありがたい高尚なもんや〜!
なんてことにされとるんじゃなかろうか??
って思ったりもするんですよね〜。

わからない。っていうのは、あえていうと無垢さです。

そして、「それそのもの」とは無垢なんです。

わかった!というレッテルで汚されてないんですよね。

つまりアホで良いっていうわけなんです。
アホとは、無垢さですからね。
アホで良い!アホが良い!
っていうかねー。

もしかして、
マントラを授かるのがやたらと高額だったり、モノによっては条件が厳しかったりするのも、
もしかしたらそれを欲しい側が、安かったら困るねん。
だって、高尚じゃなきゃダメですし、
高尚なものってのはある程度高額じゃないと効き目がないですし!

っていう思い込みから始まってたりするのかもしれませんね。

安かったりすると、なんかナメておざなりにされたりしてねー。

そうなってくると、教える側もそんなファッション感覚でこられたら困る。
ってなことで、どんどん高尚になっていって、、、。

なんかね。そんな感じで受け継がれてきてどんどん高尚なことになっていって。。。
みたいなねー。
そんな側面があるのかもしれないな〜。なんて思ったりして、、、。

ま、いいか。

ま、わからんまま、アホなままで在ってみる。
っていうのを試してみても良いかもしれません。

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