Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分をなめとるねん

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だいたいねー。
ほとんどの人はねぇ。
自分自身のことを見くびっとるんやと思うんですよ。

なんや!やぶからぼうに!!!

ってね。
冒頭からがーんっ!って言ったりましたけどね。

なめとるんですわ。
自分をねー。

どのくらい見くびってるかといいますとね。
たぶん、自信満々の人でも、本当の価値はその人が思ってるより、
1億倍くらいは有ると思うんですよね。

でね。

それくらいになってくるとどうなるかといいますとね。

出来ないことがあろうが、誰かと比べてダメなところがあろうが、
そんなもん、誤差にもならないくらいの差でしかないってことになるんですよね。

子供の頃は足の早い子はすごかったじゃないですか?男の子の場合やと思いますけど。
足が速いとみんなに一目置かれるって感じでね。
でも、大人になってくると、そんなんどうでも良くなってきますよねぇ。

そりゃ、おっさんおばちゃんで足が速い!のも良いと思いますよ。
すごいね~!って思いますけどね。

そういうのよりも、もっともーっと、誤差にならないくらいのものにしかならなくなるんですね。

どんだけ稼いでいようが、
どんだけ偉い地位にいる人であろうが、
どんだけ長く息がとめられるねんっ自慢の人がいようが、
どんだけ銅板のエッジングが上手い人がいようが、

ほえー。すごいねー。
くらいは言いますけど、

それと比べて自分は・・・・。

なんてならんのですよね。

だって、一億倍くらい見くびってたんですもん。
自分をね。

その一億倍を取り戻すとね。

そんな誤差は誤差でもなくなるんですよねん。

そんなもんで、差がなくなるとね、どうなるのかといいますとね。

比較って概念がもう保てなくなるんですよねー。

便宜上の比較はありますよ。
でも、その比較に深刻さがもうでてこないんですよね。

なので、誰かよりも優れているのか?とか誰かよりも劣っているのか?
とかね。
そういうのも幻想のようなもんでしかなかったってなことになるんですよね。

だって、便宜上のものでしか無いわけですからね。

でね。
これは向上心を失って自堕落になるっていうこととも全然違ってね。

逆に、イノチからくる表現を素直に表現したらええねんっ!っていうことが、許されるって感じなんですよね。
何かしらの価値観、「〜であるべき」みたいなものに邪魔されなくて良かったことが明らかになるんです。

わざわざ、比較とか価値観っていう、すんごく小さい箱に自分を押し込めて、小さくまとまらなくても良かったんやんってのが明らかになるってことなんですよねー。

誤差にもならない条件も根拠もいらなかったんです。

なのでね。
まずは、根拠を頼りにせずに、
そのまーんまの自分の価値を認めてあげたら良いと思うんですよね。

根拠なく、自分を認めてあげる。
試しにやってみると良いかもしれません。

そうはいかんっ!って言ってくる頭のおしゃべりは一旦置いておいてね。

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