Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自作自演の架空の檻

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全ての体験、経験が等価値やとするとね、
何やっても無駄やん!
って、思ったりするかもしれませんけど、
それだと、価値あることをやりたいっていう価値へのこだわりがありますよねぇ。

それが無いねーん。って事ですからね。

そんなんめっちゃおもんないやん。
価値を高めていくのが良いのに。

ってねー。
そういう思いも結構根強く残ってますので、
一瞬、価値観や判断が抜け落ちたとしても、
そのおもんなさから、すぐに価値や判断の世界に戻ってきてしまうんですよね。

その動き、そのエネルギーを見てあげたら良いんですよねん。

見られると、そのエネルギーは徐々に行き場を失い始めます。

そうすると、平凡な何もなさが顔を出してきます。
そのまんまのそれですね。

平凡で退屈ですが、それでもそのまんまにしておいたら、
徐々にそのまんまが、輝き出してくれるんですよね。

本来のそのまんまが姿をあらわすように見えますが、
そのまんまが正体を表してるんやなくて、
今まで、価値や判断っていう檻に閉じ込めていたものが、
解き放たれていくって感じでしょうか。

価値を追い求めていくと、どんどんその価値のハードルは上がって行きます。
よりオンリーワンに、よりナンバーワンに、
といった具合で価値の幅を狭くしていくんです。
自分のイメージの中でだけね。

それは、自らどんどん檻を狭くしているようなもんです。
で、しんどくなってくるんですよね。

価値なんてカンケーあれへん!ってな感じで楽しくやってるぶんには、
檻は無いので良いんですけどね。

何で価値を追い求めるのか?ってねー。
多分自分への信頼ができてないから、その信頼できてない分それを自分以外の価値で埋めようとしちゃうんですよねー。

まだ不信感があるわ〜。
もっと磨いておかなあかんわー。ってねー。

裏にある不信感が大きいほど、判断された世界への深刻さも深まってきて、
いつしか身動きが取れなくなって来たり、、、
そんなこともあるんですよねー。

せやから、こういう見えない檻を作ってしまってはいやせんやろか?
ってね〜。見てあげると、その檻には、鉄格子もなく、カギがかかってるわけでもなく、
いつでも外に出られることに気付くんです。

檻を取り払うでもなく、そんな檻なんて無かったってだけなんです。

せやからねー、
判断や価値観は、置いておいて、単に在ってみるんです。
最初はつかみどころがなくもどかしい感じがするかもしれません。
そのうち、これがそれなの?どうなの?と確かめたくなってくるかもしれません。
それらもほっておいて、単に在ってみるんです。

するとね、それそのものが、判断や価値観から解放されていくんです。
最初っから判断とか価値観って無かったことが明らかになるんですねー。

あると思っていた檻が、自作自演だったことが見抜かれるんです。

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