Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

それとは神秘。そして謎、ミラクルなのであーる。

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それとは、まさに神秘そのものなんです。
そして全ては奇跡!ミラクルなんです。

ゆーてね〜。
そういった非二元の表現があったりするじゃないですか。

僕もまさに同感なんですけど、
じゃあ、神秘って何やねん?
ミラクルって、どーゆーことやねん?

ってなことについて、今日は書いてみたいと思います。

神秘という意味をちょいと調べて見ますと、
人知では推し量れない、人の知恵では計り知れない不思議。
普通の認識を越えた事柄。

みたいなことが書いてあります。

 

つまりね。

これ、どういうことかといいますと、
「わからん」
っていうことなんですよね。

「それ」とは神秘である。
は、
言い換えると、
「それ」とはわからんのである。

ということになります。

偉い覚者さんもね。
何かすごいことがわかってるわけじゃないんです。

わかってることといえば、
「わからん」が真理であるっていうことなんですね。

そうきくと、
「あかんやん。」って思っちゃったりしますよねぇ。

この、「あかんやん」って言う思考が出てくるモノ。
これが執着なんですよね。

つまり、「わかっていたい」っていうことなんです。

この「わかっていたい」が探求を生み出し、
探求はさらなる探求を生み出しつづけます。

で、終わりのない思考と感情の渦に巻き込まれちゃったりするんですよね。

「わかっていたい」のは、自分をより良くしたい。
より強化にして、自分を守りたい。
っていう衝動なんですが、
この衝動が、より「自分」という自我ちゃんを強固にしたりするわけです。

わからんままっていうのは、どこか怖いんですよね。
無防備な気がしてね。

なので、どこかにつかまっておきたいんです。

でね、このつかまっておきたいっていう衝動はね、
ただの衝動であって、それが自分だというわけじゃないんですよね。

それを自分だとみなしているだけでね。

なので、ちょっと一旦おいておいたら良いんです。

そういった自分を封じ込めようとするのもちょっと違いますのでね。

何者でも無く、何もわからんってのに落ち着ついてみるんです。

思い込みの外れた目の前の世界は、
予定調和的なものは一切なくて、完璧に調和されていて、
習慣化されたものもなく、完全に意味がなく、それでいて完全で、、、
そんな奇跡的な生の世界が、今までの目の前の世界と一切変わりはない状態で、
姿を表してくるかもしれません。

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