苦しい思いがあるとき、自分の中には、
自分を苦しめる自分の思いと、
誰かに苦しめられる自分という思いのにパターンが存在します。
まず、
自分を苦しめる思いですが、
あんなことを言われた。
こんな状態になっている。
誰かと比べて、自分はこうだ。
・・・
etc.etc...
と言ったような、
何かしらの自分にとっての正しさ、信念のようなものがあり、
それに沿わない自分に対して苦を感じたりします。
これは、一見、自分の外にある外側が、内側の自分を苦しめているように見えますが、
苦しめているのは、自分の中にある外側と仮定している何かなんです。
そして、苦しめる外側があるとするなら、どうしても苦しめられる内側ってのが必要になります。
それが苦しめられる自分です。
能力のたりない自分だったり、うまくいかない自分だったり、
単に運が悪い自分だったりねー。
その、両者がどちらも、自分の中にいるんですよね。
おままごとのような物語が展開する時って、
相対する何かと何かが必要になるんですけど、
その両者が自分の中に居てたりするんです。
起こってることを見てみるときは、この両者を見てみると良いかもしれません。
外だと思っていたのも、実は自分の中にあるイメージで、
そして、うちだと思っていたものも、自分の中にイメージとしてある。
うわっ!
両方自分の中にあるやん!
じゃあ、まるで一人相撲やん!
っていう発見があるかもしれません。
そして、
自分の中にあると書いて来ましたが、そこには自分の外ってのはありません。
外側も内側も自分の中にあって、それ以外には何もありません。
じゃあ、自分の中にあるっていうか、たんに分離の概念だけがあっただけになります。
そして、内も外も両方あるってことは、これらは一つであり、その一つがあることになるんですよねん。
一つということは、内と外の間に打ち込まれていたクサビも無くなります。
っていうか、最初からそんなクサビはなかったんですけどね。
このクサビが自分という概念だったわけなんですね。
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