真実とは完全なる明らかさであって、
もうそれ以上でもそれ以下でもないんですよねん。
「それ」そのものでしかありませんし、それ以外にはあり得ません。
でね。
そうである限りは、
自分はどのくらいそれに近いんだろうか?
とか、
分離が少なくなってきた。
とかは、もう全部、物語でしかないんですよね。
0(ゼロ)かそれ以外か?でしかないんです。
0(ゼロ)から見たら、1も100も1000も10000も、
そこに差はありません。
0(ゼロ)に何を掛けても0(ゼロ)であるように、
0(ゼロ)から見ると、どんな数字も同じなんです。
だから、数字を少なくして、「それ」に近づこうっていう思いも
物語のひとコマに過ぎないんです。
0(ゼロ)とはすべての受け入れであるわけですが、
何処かの誰かが、何かを我慢しつつも受け入れられるように頑張る。
みたいな事とは全然違うものなんです。
そんなこと頑張ろうが、どうしようが、
0(ゼロ)は常に0(ゼロ)なんです。
その0(ゼロ)の明らかさを垣間見るのが一瞥体験であって、
完璧に近づこうとする自分の放棄が「それそのもの」と言えるかもしれません。
0はどんな数字で割ろうがどんな数字で掛けようが0(ゼロ)だということは、
すべてが含まれているのも0(ゼロ)なんですよね。
それは、始まる以前の「それ」そのものなんですね。
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